パリのワールドカップ

ムワムワ暑いバスの4人掛けの座席によっこらしょと座りましたら、既に座っていた3人が俯いて真剣顔をしていました。横目で観察していると、頷いたり、手を広げたり、ため息ついたり、3人同じリアクションをするんです。1人は30代位の地味なデブ気味男性、もう1人は可愛い20代のほっそりした女性、そして40代のおばちゃん。3人の共通点は見当たりませんし、彼らは真っ赤な他人です。そのうち、亀の歩みのバスから見える外から、地響きのような怒濤が湧きあがりました。何の事件かと目を見張れば、そこら中のキャフェから道一杯に膨れ上がっている人間が狂喜乱舞していました。その1分後位にバスの3人も拳を振り上げました。なるほどサッカーです。テレヴィでの実況中継と、ネット中継とではかなりの時差があるんですね。

65%のフランス人がワールドカップを見ているそうです。パリには、こんなにあって良く商売が成り立ちますねと思うほどキャフェがありますが、そのほとんどが、ワールドカップの為に大型テレヴィを設置してサッカー中継を流しています。テレヴィを置かない気取ったキャフェは閑古鳥です。キャフェからはみ出た人達は立ち見でちゃっかり見ています。まるで昔々、近所で最初にテレヴィを買った人の家に窓越しにテレヴィを見に行く貧しい庶民の恰好です。

 

 

ブティックに入っても、パソコンにかじりついている店員はお客そっちのけ。

そのような情熱に同感できない私は、家でテレヴィが点いているから仕方なく試合を眺めていても、目に付くのは余計な物ばかり。壁に出るコマーシャルで中国語だけで出ていたりして、中国語を解しない少数の人間の事は頓着しないというダイナミックな考えには感動さえしました。

ヘディングが悪いのか禿が多い選手の一々に、あの人いくつ?と息子に聞いて、28歳、なんて聞くとつくづく気の毒になったりします。

準決勝が決まった日は、もう優勝したかの勢いで、凱旋パレードの定番、シャンゼリゼ通りが賑わいました。その日は大学進学資格のバカロレア全国統一試験の結果発表があり、学校の終業式でもあり、ヴァカンスに突入した幸せ絶頂のフランスでした。
 

 

 

 

 

 

 

ゲホ ゲボ ゲオ

あ~良い天気、なんて浮かれてなんていられません。だって天気が良い=大気汚染発生という図式が出来上がるからです。パリはピークの時は北京に負けない大気汚染数値になります。
世界で年間7百万人が大気汚染の所為で死亡しているという恐ろしい数字が出ています。これは、エイズや車の事故よりぐんと高い死亡原因の数字です。
そして、世界の10人に9人が汚染された空気を吸っているという、これまた恐ろしい昨今です。
 

 

大気汚染に弱いのは、子供や年寄り。私はもう子供ではないので、この年寄りカテゴリーとして、大気汚染被害者です。咳が始まれば100日は咳をし続けるという苦悩の日々が続きます。胸の辺りに疲れを感じる時など、肺癌、又は喉頭癌なんてのもあり得るかしらと想像しているのですが、大気汚染が引き起こす悪い事は、脳溢血、狭心症、早産、男性の生殖能力低下等、なんだか関係ないようなところまで及んでいます。特に男性の生殖能力低下っていうのは、え~?と思ったのですが、大気汚染の代表国インドはもうじき中国を追い抜く勢いで人口が増加していますが、不妊問題も増える一方だという記事を読みました。
大気汚染ランキングは、世界容認基準の5倍の汚染率をキープしている中国、インドが断然だろうと思い込んでいましたら、アフガニスタンが圧倒的な1等賞でした。
へ~と思う事ばかり。

今年も専門医に予約をしたのですが、取れた予約日は2か月後。いつ咳が始まるかハラハラです。雨の日だけ外出して、文字通り息をひそんで隅の方に引っ込んでいます、としたいところですが到底そうはいかず、ばっちい空気に身をさらしています。
フランスは農業国なので田舎に行っても空気は農業によって汚染されていて、地方都市は工場により汚染されていて、とどこに行ってもろくな空気ではないようです。
パリにも酸素バーがあるので通おうかしら。純粋な酸素をガンガン吸えば汚れたフィルターを洗うように私の肺もすっきり綺麗になるのかしら。

 

 

 

 

 

 

私の教会

ヨーロッパでは、何にも無い地味な街でも取りあえず教会は街の見るべき物として存在します。なのでヨーロッパでの生活が長いと相当数の教会を見ることになります。私は教会大好きなので近くを通れば必ず中に入ります。パリの街中の教会はノートルダム寺院やサン ジェルマン デ プレ教会、サクレクール寺院などの観光スポットの教会以外は殆ど人がいません。静かで薄ら暗い教会の中に少し座っているだけでいいのです。よっぽど立派な教会にひょっこり出くわすと、日本からのお客様にご案内したいなと熱心な商売心が動きます。

多分教会の中にいると心を開いた様子でいるんだか、神父さんに話しかけられ、言葉を交わすことがあります。その中でも良くおしゃべりするのが、ノートルダム寺院の神父さん。彼の経歴が面白くて、東京大学で20世紀のフランス文学を教えていたんですって!へっ、宗教学とかラテン語とかでなく、フランス文学、それも20世紀の?彼の見かけや職業と全くかけ離れています。”またなんだって東大で?”と聞くと、”僕は教会の人間だからソルボンヌで教えることができないんだよ”と痛憤いうより悲しげでした。

フランスはフランス革命以来、宗教と政治、教育は切り離されています。ですので公立の学校は宗教色を出してはいけません。市役所などにも一切十字架などありませんし、クリスマスの伝統的な飾りのクレッシュもありません。という訳で神父さんが公立の学校で教鞭を取ることはできないのです。

彼とはとても楽しい会話が続くのですが、難はそれが途切れることなく永遠のごとく続くのです。お客様と一緒の時は、彼に会いませんようにと神様に祈りながらご案内します。

奇跡のメダル教会のシスターとも仲良しです。クリスマスには、あなたの為に祈りましたよ、と書いたカードを送ってくださいます。ありがたや、ありがたや。

教会にぼんやり座っているだけでなく、ちゃんとお勉強にも行きます。多くの教会が定期的にガイドツアーをオーガナイズしています。参加者は基本爺さん婆さんです。毎回感心するのですが、彼らの物知り具合は素晴らしいです。聖書の出来事やフランスの歴史、画家や彫刻家、建築家などの事をまぁよく知っています。教会のそこら中に書いてあるラテン語まで読んでくれちゃったりします。この人がガイドすればいいのにと思うような爺さんもいて、そんな人達といるとこちらまでほんのちょびっとだけ教養ってものにあやかれる気がします。

観光中でも通りかかった教会に足を休める為ででも入ってみてください。練習しているパイプオルガンを聞けたり、嬉しい発見があるかもしれません。

 

 

 

 

 

ヴィクトル ユーゴ パリを救う!

日本のゆとり教育の真っ最中だった甥がパリに来た時、彼のぼんやりした頭を急き立てるようにあちゃらこちゃら連れまわしていたある日、ほれここがヴィクトル ユーゴが住んでいた所よ、とマレ地区のヴォ―ジュ広場の回廊を歩きながら誇らしげに話しても反応なし。なんとヴィクトル ユーゴを知らないと告白しました。アイヤーァ。

軍人の父を持つ厳格な家のぼんであったヴィクトル ユーゴは19世紀のフランスを代表する文豪であり政治家でもありました。”ノートルダムのせむし男” ”ミゼラーブル”というミュージカルにもなっている小説といえばピンとくるかと思います。

19世紀のフランス文学なんかは読んでいなくていいのですが、しかしこの小説のお陰をもってパリの歴史的建造物が救われたとういう事実は忘れてはいけません。

例えば、パリ観光地でトップを争うノートルダム寺院。フランス革命で略奪されて散々な状態になった寺院は、すっかりみすぼらし廃墟の様になり、崩壊されるのを待つばかりの有様になっていたのが、”ノートルダムのせむし男”の小説のお陰で話題になり、皆に思い出されて、壊すなんてとんでもないと修復作業が始まり今私達を感動させてくれるパリの大切なスポットになっています。

パリの下水道もそうです。小説 ”ミゼラーブル” の舞台になり、そやそやと認識され今のように整備されました。見学できるので是非美しいパリの裏側を体験してみて下さい。

カルチエラタンにある1世紀にローマ人が造った古代競技場も、トラムを通すために壊される計画があったのですが、ユーゴが会員になっている古代競技場友の会の反対運動のお陰で、パリで一番古い建造物として今でもローマ人の形跡をしっかり残しています。

1885年、ユーゴが亡くなったと発表された日は国会も閉会されました。お墓はもちろんフランスに貢献した人を埋葬するパンテオンです。

日本では教科書にも載らなくなったようですが、フランスでは殆どの街にヴィクトル ユーゴ通りがあります。地元フランスでは偉人なヴィクトル ユーゴ。

昔は学校で暗唱する詩のリストに詩人でもあった彼の詩が必ず載っていたそうです。

”僕、シャトーブリアン以外になりたくない”と言ったほど子供の頃から物書きだったユーゴは名言を沢山残しています。その中でも ”生きている者とは闘っている者だ、運命の高い険しい峰をよじ登る者のことだ” という言葉にはふんふんと首をこくこくします。

女性に対する情熱も熱かったのですが、子供もとても好きで、孫をうっとり眺めながら ”子供がいつもよちよちしているのは、天国の思い出にまだ酔っているから” なんて言う素敵な言葉を残しています。

ヴォ―ジュ広場のヴィクトル ユーゴ博物館は、19世紀のアパートの造り、装飾の傾向などを見るだけでも面白いと思います。無料だし、是非どうぞ。

 

 

 

 

 

 

エクトール ギマール

9月から始まったギマールのメザラ邸の一般公開。絶対絶対行かねば、と心に刻んだものの、週末のみなので中々時間が取れず、その内すっかり忘れてしまっていたのが、たまたま近くを通ってもメザラ邸の前に来てポスターが貼ってあり、アラ何かしらと読むまで思い出さなかったという重症さでした。大変大変明日までじゃないの。

翌日、気軽にのんびり夕方に行ってみりゃ行列を作っています。後ろに並んだマダムが”だ~れもいないと思って来たのに”と言ったのを、私も、私の前に並んでいたマダムも同時に振り返り、”私もそう思った”と合唱しました。
 

 

 

 

 

エクトール ギマールとは、パリのアール ヌーヴォーの代名詞的な地下鉄のくねりとした入り口をデザインしたあの人です。ロンドン、ニューヨーク、シカゴ、ブタペストの次、1900年に遅ればせながらパリに地下鉄が登場しました。先越された口惜しさに何とか奇想天外な皆を仰天させるデザインを公募。既に”悪魔の館”などとスキャンダルになったカステル ベランジェを造り、地下鉄会社の社長さんちの居間のインテリアも手掛けて、ギマールの独特のセンスは証明済み。ギマールにポンと木槌は打ち落とされました。

 

 

張り切って数種類の奇妙な地下鉄の入り口をデザインしたというのに、お次のアール デコの登場でアホな事に半分近く壊されてしまいました。
時は第一次世界大戦が始まりました。余計な飾りがクニャクニャ付いているアール ヌーヴォーはコストが高くつきます。もっとすっきりいこうや、その方が安いし、という事でアール デコが登場し、アール ヌーヴォーは流行遅れで悪趣味ね、と落っことされました。ギマール自身、第一次世界大戦が始まるやとっとと愛妻の国アメリカへ移住してしまった為、人々も彼の事はころりと忘れてしまいました。

文部省が持ち主のメザラ邸は最近まで、羨ましい事に近くの高校の女子寮でした。さて今後どうするかの合間に、ギマールアソシエーションが扇動して、一般公開をしてくれたのです。内部をなんとか見たかった私は、手を取らんばかりにメルシ―を連発しました。

 

 

 

 

 

 

ギマール作の内部を見たのは初めてです。妄想を裏切らずユニークです。建築、室内装飾に家具のデザインもギマールです。彼は何にでもデザインが思い付くようで結婚式の愛妻のドレスも靴も手掛けたそうです。

それで、これからここはどうなるのですか、の私のしつこい質問に、肩をすくめるばかり、”「ギマール」、「アール ヌーヴォー」ってタグあんまり人気じゃないのよね。” ”そんなことないでしょ、ベル エポックの要じゃないですか” ”本当にそうなのよね” と眉毛は下がったまま、肩は上がったままのギマールアソシエーションの面々。

 

コルビジュエの作品は日本でも見られますが、ギマールやラヴィロットなど突飛なアール ヌーヴォーの作品は日本では中々見られないと思います。
建築好きな方、パリにいらしたらお見逃しなく。キフキフパリでもご案内しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

シャンゼリゼのクリスマスマーケットさようなら

フランス人が世界で一番美しい通りと思い込んでいるシャンゼリゼ通り。はて、”シャンゼリゼ”ってどういう意味かご存知でしょうか?ギリシャ語で”極楽浄土”という意味だそうです。そのパリの極楽浄土はクリスマスともなれば、豪勢なイリュミネーションに浮かれて、そりゃ飲めや歌えやとはじける為に世界中の人が集まってくる場所です。その中でもパリ最大のシャンゼリゼのクリスマスマーケットは1千5百万人の訪問者、2千人の人が働いて、250件のお店が出店しています。私も毎年日本からのお客様をご案内します。

 

 

そのシャンゼリゼのクリスマスマーケットが今年は無くなりました。今頃それは賑やかだった場所は、薄ら暗く人も歩いていなくて、ぶるりと寒さが増すような風景になりました。
 

 

 

 

 

クリスマスマーケットの興行主のマルセル カンピオン氏とパリ市との契約が切れたので2017年から更新しないということです。何故パリ市側は更新しないかとの理由は、屋台の内容がクリスマスマーケット本来の内容とかけ離れて行き、商業主義だけが目に付くようになった為。要するに悪趣味で貧乏たらしい、くだらん物ばかり並べて世界一美しい我らのシャンゼリゼ通りに相応しくない!という意味です。

それまで代々のパリ市長とは、いろいろな賄賂が功を奏して上手く付き合っていたカンピオン氏は、今の市長ともさっきまで仲良くしていたのに、と晴天の霹靂の大仰天だったことでしょう。

噂では、大金持ち会社LVMHのベルナール アルノーが裏にいるとか。ブーローニュの森のルイ ヴィトン財団の横にある、パリっ子なら小さい時1度は連れて行ってもらったことがある遊園地、アクリマタシオンが今大工事をしていて5月に再オープンします。このアクリマタシオンは1860年にナポレオン3世がオープンしたという由緒正しき遊園地です。それがパリ市とそれとベルナール アルノーとが所有者なんだそうです。ブイブイのビジネスマンのアルノーがここでパリの興行ビジネスに乗り出して、小ぎたないカンピオンの屋台をどかして、シャンゼリゼに相応しいデラックスでシックなクリスマスマーケットをやろーってんじゃないか?
いくら賄賂をつぎ込んでも、ベルナール アルノーには敵いませんがな。現にパリ市は来年からは違った趣旨でシャンゼリゼのクリスマスマーケットは復活する可能性大と言っています。
 

この大観覧車もカンピオン氏の所有ですが、市長はこれも,歴史的建造物に囲まれているコンコルド広場に全くもって似つかわしくないので撤去したいという意向です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フランスのなるほど~ぉ

11月1日は諸聖人の日である万聖節で祝日です。11月2日は死者の日、なので祝日である1日にフランスでは日本のお盆のようにお墓参りをします。普段はひっそりといい感じの墓地もこの日ばかりは、菊の花を抱えた人や有名人のお墓見学の人で大賑わいです。
浮かれポンチキをするハロウィーンは万聖節の前日10月31日。これは全く宗教と関係がないので、しっかりカトリックの国、特にラテン系のフランスやイタリヤやスペイン又はそれらの国に植民地化されたラテンアメリカなどの国ではハロウィーンはけしからん乱痴気騒ぎです。アメリカが街を挙げて大パレードをするのとはポジションが違います。
 

今の季節日本からいらしたお客様は、菊満載の花やの店先を見て???、お墓に供えるとご説明すると、”あら、日本と同じなのね”
これはですね、第一次世界大戦後から始まった習慣なんです。フランスでは11月11日は第一次世界大戦休戦記念日でこれまた祝日です。大戦時の英雄政治家、虎のクレモンソーことジョルジュ クレモンソーが、休戦一周年に世界大戦で亡くなった兵士の墓に花を供えるようフランス国民に呼びかけました。菊というのはこの季節に唯一花が咲き、厳しい冬も元気に越せるという事で、皆菊を兵士の墓に持って行きました。その11日がだんだんとご先祖様や亡くなった家族のお墓詣りに移行して行って1日に菊を持ってお墓詣りをするようになったという事です。この1日に墓参りをするというのはポーランド、ポルトガル、フランスだけなようです。
 

第一次世界大戦の無名戦士の記念碑は凱旋門の下にあります。身元不明の1人の戦死した兵士の遺体が代表で埋葬されていて、毎日、毎日ですよ18h30にフランスの為に戦った無名戦士達を忍んで立派なセレモニーが行われているのは感動的です。これなら愛国心だって大いに湧きます。
そして、この虎のクレモンソーはぐんぐん突進するのみの野蛮な政治家ではありませんでした。クロード モネの親友で、モネの睡蓮を見る為に行列を作るオランジュリー美術館はクレモンソーの肝煎りで完成し、それだけではなく、白内障で色別ができなくなって、すっかりこの世の終わりになったモネに白内障の手術を受けさせ、元気づけ睡蓮の大連作を完成させたのもクレモンソーです。メルシ― クレモンソー!

 

パリ市内には主な墓地がモンパルナス、モンマルトル、ペール ラシェーズと3つあり、アーティスト、俳優、作家など超有名人がごっそり眠っています。是非お散歩してみてください。ここは、サルトルとボーボワールのお墓です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パリでの信号の渡り方

歩行者にとって信号は無視する物と言うのがパリの習わしなので、信号がきっちり青になったら右見て、左見て、もう一度右を見て道を渡る習慣が身に染み込んでいる日本のお客様は大層困惑なさいます。信号無視が体に染み込んでいる私が車が来ないのを確認して赤信号をつい渡ってしまうと、「三井さん、三井さん、信号赤ですよ!!!」と注意してくださいます。

登校時、下校時には学校の近くの横断歩道に気まぐれに旗おばさんや旗おじさんがいることがありますが、彼らも全くもって信号は無視して、渡らせたり、渡らせなかったりします。車がいなければ赤信号でもポリスも ”ちゃっちゃと渡って。”と腕を振り回します。

歩行者がこんな態度ですので、車の運転手はそりゃひやひやです。4人に3人の運転手はいつ歩行者が飛び出してくるか常に警戒しているそうです。半分近い運転手が信号が青から赤に変わる時にアクセル踏むかブレーキ踏むか迷うそうです。同数の歩行者が青から赤に変わる時に渡るか、留まるか迷うそうです。

インドやアイスランドでおもろい横断歩道があります。横断歩道の縞々模様が3Dになっていて、まるでブロックがでんど置いてあるように見えるので、運転手は慌ててブレーキ―を踏む、又は減速するので事故が大幅に減ったそうです。

問題はいつも通っている運転手には効き目が無くなるという事です。

楽しいアイディアです。

 

 

 

 

 

 

パリで道を渡る時、最も気をつけなければならないのは、いつもと反対から車が来る事。そして歩道と車道の間に細く自転車レーンがある所が増えてきました。そこにぼんやり立っていると勢いよくすーと走ってくる自転車と衝突します。くれぐれも周りを良く見て、ご自分の身をお守りください。