パリのプチパレ、若冲展

昨日、バスで帰ろうとプチパレの前を通ったら誰も人が居なくて、もしや若冲を独り占めできるのかしらと、ふらりと階段を登って行きました。チケット売り場には、行列用に七曲りにロープが張ってあるところを見ると、やはり若冲は話題沸騰になったようです。

初日に見た私は、フランス人の友達に会えば、”JAKUCHU 見た?”と話題にしていました。皆、”話は聞いたけど。。。。”と乗り気薄し。”見てみ、東京やワシントンじゃ大行列で、入場するのに最大の忍耐と体力を要したモナリザ級の展覧会だったんだから” と言うと、ぐっと乗り出してきて”そうなの?” そして皆 ”今、見てきた、マニフィック!” とプチパレを出たその足で、興奮したメッセージを送ってきます。

東大、多摩美の名誉教授である、辻惟雄先生の講演会でのお話がもう爆笑もんでした。先ず出で立ちからして、もう私の笑いのツボに嵌りこんで大変でした。
日本語、フランス語の同時通訳のヘッドフォンが用意されています。辻先生は一度頭に付けたそのヘッドフォンを自分が話す時も放さず、そうすれば口から日本語、耳からフランス語という難儀な状況に陥ります。さすがに近くの方に、先生お取りになってください、と言われても、そんな物がわが頭に乗っかっていることも気が付かなかったというお顔をされていました。
「老松白鳳図」の真っ白なフェニックスの羽に描かれている真っ赤なハート柄の事がとっても気になるようで、”このハートが何処から来たのかを考えます事に、多分トランプの、あや、今トランプと言えばあのアメリカの方と直ぐ思われてしまいますが、そうではなく英語で言えば、「ぷれいんぐ かーど」の事です。そこから来てるんじゃないかなぁ、とも思うのですが、はてその時代、日本に「ぷれいんぐ かーど」なるものが果たして輸入されていたのかも疑問なのですが。。。” 
「貝甲図」にお化けがいるとか、とても辻先生の楽しい会話術を文章にすることができないのがいかにも残念です。

周りはフランス人ばかりだったので皆同時通訳を聞いています。いくら同時と言っても、タイムラグはあるわけで、その中で私一人がゲラゲラ笑いの先頭に立つのですが、辻先生の話すリズムや言葉選びは日本語で聞いてこそ爆笑もんなので、続くフランス人の笑いはハハハ程度で、身を捩って笑っている私を見て笑っているフランス人がいたほどです。横目で一足早い私の反応を見て、おー可笑しなこと言ってるんだな、と笑う用意をしている隣人もいました。

次の方の順番になり、一旦下がった先生は、その方が終わるや、今度は顎の下にヘッドフォンをぶら下げて再び登場。打ち合わせと違うので、周りはあたふた。
”えー、先ほどの「ぷれいんぐ かーど」ですが、現代見られるハートやスペードやダイヤやクローヴァーという図柄にしたのはフランスでして、白鳳のこの赤いハートは要は”あむーる”(ここで、いひゃひゃひゃ~ぁと心から嬉し気に笑われる先生)と私は思っております。”
もう、涙が止まりません。
こんなお父さんとか旦那さんが家に居たら素敵だろうな。

空いていると思って中に入ってみると、初日に比べたら随分多くの人で、熱心にメモを取っている若者が多く目に付きました。名前だけ聞いて、ジャック チュという中国人かと思ったというタワケもいましたが、展覧会が終わる頃にはパリ中の人に知れ渡る名前でしょう。

 

 

 

 

 

 

あ~、してやられたぁ~。

期間限定で特別公開なんていうのに滅法弱い私。それも”グランパレの地下700メートル初の一般公開!” 即予約しましたよ。
グランパレは1990年のパリ万博の為に建てられたエクスポ会場です。その万博が終わったら、当時の大スター建築家、デザイナーのコルビジェの、とっとと壊して ”20世紀のアート美術館” を造るというアイディアが認可されたのですが、コルビジェが亡くなって、計画も頓挫し、お陰をもって今現在も堂々とセーヌ川の横に立ちはだかっているグランパレ。
 

 

予約の日、職業柄時間より早めに着いたのですが、とってもフレンドリーな係りの可愛い子ちゃんに、こちらにお座りになってお待ちくださいね、と案内された木陰の椅子で本を読み始めたら、すっかり何しに此処に居るのか忘れて、あらあら、早く早くと可愛い子ちゃんに急き立てられました。

15人位のグループでいよいよグランパレの秘密の地下へ向かいます。案内の兄さんは、僕はアルピニストで、夏の間ここで井戸掘りのバイトをしています、とスペイン語圏の人らしく、ざ、じ、ず、ぜ、ぞ、が言えないフランス語が不自由らしい人。修復工事をしていて建設当時の地下700メートルの井戸を発見したとかぺらぺらぺらのお話をヴィデオなども見せながら説明。
エレヴェーターで地下に降りて行くにあたって、普段工事人の為のエレヴェーターなので、早い速度で降りて行くので、途中気持ちが悪くなるかも知れません。
下の方にはガスが発生してますが、体に影響はないガスです。しかし鼻の下にこれを塗っておいてください、とヴィックスのミントのポマードを皆に回します。
臭い匂いはかなわないわ、と大量にポマードを付けて白い髭の様になっている人を皆で笑ったりしながら、期待に鳩の様に胸を膨らませてエレヴェータに向かう一団。
エレヴェーターの入り口には、発掘していて見つかった、缶だとか皿だとかヨーグルトの瓶などが展示してあり、皆19世紀の終わりの品々にノスタルジックになりました。

四方真っ黒な正方形のエレヴェーターの真ん中にテーブルがあり、その上に何やら詩のような物が書いてある紙が数枚、建設当時の設計図など置いてあります。テーブルの周りに皆が立って、ガタガタゴトゴト、せこい遊園地の乗り物の様に揺れながらエレヴェーターは下降し始めました。途中、兄さんは紐を引っ張ってエレヴェーターの小窓を開けて下降している事を見せてくれました。
エレヴェーターが止まると、兄さんはテーブルの上の一枚の紙の ”このエレヴェーターに乗った我ら皆兄弟、一致団結” 的な文章を読み上げ、皆拍手。”はい、では上に上がります” ”へっ” ”降りないの” ”出られないの” ”?????”。の皆の問いかけに、”とても危険ですから出るなんて不可能です” キツネに抓まれた私達。そこに、兄さんの携帯が鳴り響きました。
 

 

 
 
眉間に目一杯の皺を寄せて対応している兄さん。”すみません、具合が悪くなった者がいるようなので彼をこのエレヴェーターに乗せてもいいでしょうか?”
皆大喜び!何と、真ん中にあるテーブルの上板を外すと奈落の底の様な地下が見えました。ヘルメットをかぶった3人の人が宙づりになって壁にへばり付いています。
”どーした?” ”気分が悪い、病気だ!” ”ご案内しているお客様が居るけど、このエレヴェーターに乗って来い、皆んさんOKだ” ”そうだそうだ、早く乗りなさ~い” と叫ぶ私ら。彼ら同士のこの会話はフィンランド語?見たいな聞いた事も無いような言葉にフランス語が混ざっています。それにしても妙に暑い、汗だらだら。のそのそしている3人。バカなのか1人が逆方向に降りて行きます。私ら唖然。”あの人何しているの????” そのバカはぐっと下まで下がって、何やら蓋を開けると、地獄の窯の様にゴーゴーと真っ赤な炎が燃え上がりました。”何やってんだっ、早く閉めろー” と大あせりで叫ぶ我らの案内人の兄さん。このあたりで、ゲラゲラ笑いが起こりました。全くもってしてやられました。
最初っから最後まで、完全なるお芝居。最後まで真剣眼で、大丈夫でしたか?と演技をし続ける兄さん。結局あの暑さから考えて、私達は2メートル位しか降りてないんではないかしら。
出口で、よくぞ無事に戻って来られましたね、ご苦労様でした、とお水なんか振る舞われました。最後のダメ押しが、ボランティアで井戸掘りを手伝ってくれる人を募っています。ご興味のある方はここに記入してください。結構な人が名前、電話番号、メールアドレスを記入していました。
スタッフ全員、役に徹して全く素晴らしいすっとぼけっぷり。

有料だけど、この大掛かりないたずらには誰も文句は言わないと思います。
それにしてもあの穴は本当だったのでしょうか?あの穴の底のゴーゴー怒ったような炎は何だったんでしょうか?

 

 

 

 

 

 

フランス人サッカーへの熱い思い

ワールドカップが見事な結果で終わり、息子も無事家に帰ってきました。と言っても別にロシア迄出っ張っていたのではないのですが、試合は頓珍漢な母がいる家で見るのではなく、どこぞの盛り上がる場所で見ていたようです。現在6か月の企業研修に行っている彼はサラリーマンの様な時間帯で勤務しているのに、フランスが勝てばこみ上げる嬉しさをとっくり満喫する為にどっからでも歩いて帰って来るらしく、真夜中に家に着いて、朝も早よから出かけるため、私とはバスルームですれ違うぐらいでした。
決勝戦の日曜日、朝方帰って来たくせに、お昼前からお風呂に入ったりしてピッカピカにして、東京事務所の土田とスカイプミーティングしている最中の私に、お昼ご飯早くお願いと小声で言います。訳を聞けばエッフェル塔の麓のシャン ドゥ マルスに決勝戦を見に行くからとのこと。それはそれはと、ミーティングを中断してお昼ご飯の支度をしたのですが、17時からの試合の為に13時に現地集合という待ち合わせをしたからと詳細を聞いてアホかと思いました。
ガサガサご飯を食べて、出かける彼の背中に夕食はどうするの?と聞けば、「いらない」「フランスが負けても❓」「負けたらご飯なんて食べる気しないよ」
フランス中アホの固まりになったのか、息子が出て行ったお昼過ぎ頃から街中わさわさし始めました。

試合中、開けた窓からグワングワン音が入ってきて、テレヴィを見ていなくとも、試合の様子が分かるようでした。そんなもんですから、勝った時の騒ぎは大変なものでした。第2次世界大戦が終結して、ドイツ軍がパリから引き揚げパリが解放された時ってこんなだったんではないかしらと想像出来たほどです。
結局、息子達は13時にシャン ドゥ マルスに行ってももう満員で入れなかったそうです。

 

 

月曜日は凱旋パレードでした。凱旋パレードと言えばナポレオンが造った凱旋門があるシャンゼリゼ通りです。何故か分かりませんが2時間遅れて19時頃に選手を載せたバスはようやっとシャンゼリゼに姿を現したようです。
14時頃マドレーヌの辺りに居たのですが、既にコンコルド広場は地下鉄が封鎖。街行く人は一様に張り切りサッカーの出で立ちでした。気温30度の中、今から何処へ行くのと思ったのですが、彼らもず~~っと待っていたのですね。

月曜日の夜、翌日のお客様のホテルにご挨拶の電話をしたのですが、何度電話しても未だチェック イン されていませんとのこと。ニュースを見て分かりました。サッカーの選手達もそこのホテルにその晩泊まるので、ホテルの前は通行禁止になっているようです。もう一度ホテルに確認して見ましたら、裏の道に車を付けて頂ければ、直ぐに迎えに伺いますとのこと。運転手はその旨了解しているようなのですが、とてつもなく時間が掛かっているようです。お疲れなのにあ~お気の毒!

 

 

パレードが終わった選手たちは大統領官邸でサーモンのサンドイッチを振る舞われたようです。久しぶりに息子と夕食を食べながらテレヴィでその様子を見ていたら、
「あっ!エリオットだぁ」と叫びます。小さい時からスポーツクラブで一緒だった子が今や、大統領専属カメラマンになっているそうです。「母さんも良く知ってる子だよ」と言われても、記憶が薄くなっている私は自信なく、そうかもねと言うしかありません。

そして、火曜日。朝お客様をお迎えに行きましたら、ホテルの前は既に報道陣やファンがカメラを構えて待機していました。午後にホテルに戻るとその数はぐっと増えていて、朝から待ってるんか、この日陰のない日差しの中、と改めてサッカーに対する情熱を確認したと同時に、選手達は裏から出るんじゃないかしらと不安にもなりました。

これで夏中フランス人は機嫌良くしていることでしょう。

 

 

 

 

 

 

パリのワールドカップ

ムワムワ暑いバスの4人掛けの座席によっこらしょと座りましたら、既に座っていた3人が俯いて真剣顔をしていました。横目で観察していると、頷いたり、手を広げたり、ため息ついたり、3人同じリアクションをするんです。1人は30代位の地味なデブ気味男性、もう1人は可愛い20代のほっそりした女性、そして40代のおばちゃん。3人の共通点は見当たりませんし、彼らは真っ赤な他人です。そのうち、亀の歩みのバスから見える外から、地響きのような怒濤が湧きあがりました。何の事件かと目を見張れば、そこら中のキャフェから道一杯に膨れ上がっている人間が狂喜乱舞していました。その1分後位にバスの3人も拳を振り上げました。なるほどサッカーです。テレヴィでの実況中継と、ネット中継とではかなりの時差があるんですね。

65%のフランス人がワールドカップを見ているそうです。パリには、こんなにあって良く商売が成り立ちますねと思うほどキャフェがありますが、そのほとんどが、ワールドカップの為に大型テレヴィを設置してサッカー中継を流しています。テレヴィを置かない気取ったキャフェは閑古鳥です。キャフェからはみ出た人達は立ち見でちゃっかり見ています。まるで昔々、近所で最初にテレヴィを買った人の家に窓越しにテレヴィを見に行く貧しい庶民の恰好です。

 

 

ブティックに入っても、パソコンにかじりついている店員はお客そっちのけ。

そのような情熱に同感できない私は、家でテレヴィが点いているから仕方なく試合を眺めていても、目に付くのは余計な物ばかり。壁に出るコマーシャルで中国語だけで出ていたりして、中国語を解しない少数の人間の事は頓着しないというダイナミックな考えには感動さえしました。

ヘディングが悪いのか禿が多い選手の一々に、あの人いくつ?と息子に聞いて、28歳、なんて聞くとつくづく気の毒になったりします。

準決勝が決まった日は、もう優勝したかの勢いで、凱旋パレードの定番、シャンゼリゼ通りが賑わいました。その日は大学進学資格のバカロレア全国統一試験の結果発表があり、学校の終業式でもあり、ヴァカンスに突入した幸せ絶頂のフランスでした。
 

 

 

 

 

 

 

ストの被害、あ~迷惑!

3月から6月まで週2回の国鉄のストライキを実施しているおフランス。お客様を地方にご案内するのも、うまい事ストの日を避けてプランニングし、まぁパリ市内にいる限りストの影響無し、とたかをくくっていました。

昨日の19日もストの日でしたが気にもせず朝から出かけ、昼に一旦帰宅して、午後から再び約束の地へ。昼前に帰宅した家の近所の様子がイヤ~な感じ。デモが通るようです。午後出かけた地下鉄の駅ではデモ参加者が大騒ぎをしていて、これまたイヤ~な感じ。約束の人と会って、すっかりそれらイヤ~な感じを忘れました。さて帰りはバスでつーと帰れるな、とバス停へ。パリのバス停はご親切な事に”あと何分で来まっせ”、と表示板があります。その表示板は無言、何も表示されていません。それでも10分位待ってようやっと、もしやデモでバスは通ってないのでは????結構遠い地下鉄の駅まで歩いて行って、地下鉄で帰ることに。乗り換えをしてやれやれ後は家の近くに着くばかりと思いきや、ここから、ここまでの間の駅は地下鉄は運行しませんとのアナウンス。正しく私の降りる駅。この日は29度近くまで気温が上がり、地下鉄の車内はムンムンです。仕事帰りで疲れてる上にこの暑さで既に相当機嫌が悪い乗客は、一斉に”クソ”と大合唱。右岸にいた私は左岸に渡った所で再び右岸に上り、ぐるりと違う路線を回って、家のある左岸にやっと渡り、家に着くまでに1時間半。平常20分で着く距離です。

この日はフランス全土で大規模なデモがあり、パリでは1万5千人のデモ参加者でした。かなり荒れたようで、お店のウインドーやバス停、建物が壊されたり、物を燃やされたりしたようです。警察は催涙ガスを使用したほどです。

この催涙ガスは私も経験があるのですが、と言っても催涙ガスを投げて少し経った時に通りかかっただけなのですが、死ぬかと思うような苦しい物でした。まともに食らったら相当な事になります。

デモの時のウインドーなどの壊し屋はプロの壊し屋で、純粋なデモ参加者ではありません。アホな暴れん坊の様子をテレヴィで見ていて、こういう事をするのは100%男というのは、彼らの性なんですかね。

そこで思い浮かぶのが、神曲の地獄を旅するダンテとウェルギリウスの絵です。

と言うと、はっ?そこ行くか?という反応しか得られないのですが。
柄の悪いデモにはくれぐれも近づかないようお気を付けくださいませ。でも、えーじゃパリには行かないなんて言わないでね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ;

フランスで培われたフランス人気質

日本でも呆れたニュースとして3月から6月まで週に2回ストライキを実施するフランスの事が話題になっているのではないでしょうか。
パリ市内にいる限りストの日もあまり影響はないのですが、郊外や地方の移動は大混乱のようです。国鉄がストをすれば皆、車や長距離バスで移動しますので道は大渋滞。空港へ向かう人達はにっちもさっちも進まない車から降りて、スーツケースを引っ張って歩いています。あ~やっと着いた、間に合ったとホッとしたのに、飛行機もキャンセル。頭をかきむしるしかやることはありません。
ヴェルサイユ宮殿へ行く郊外線もぐっと少なくなっています。ルーブル美術館も開館時間を通常より遅く10時にしたりして、公務員達のストにそっと参加しています。
電気、ガス屋も時々止めたりします。ゴミ収集車もスト、学校の先生もスト、大学もスト、弁護士もストで裁判は延期。

フランスでは、19世紀までストライキは犯罪でした。今では、”個人の権利”となり全ての労働者がストライキをする権利があります。
ストライキの大ベテランは公務員です。不満を垂れる相手は、雇主、そして国です。
フランスの労働組合は外国の企業がフランス進出をしり込みさせるほど強いのですが、組合員の割合は労働者全体の11%強で、ヨーロッパの中でも少ない方です。
ストをすることによる損失は莫大です。国の政策が悪いからストをしたんだから、ストによる損失分は国が負担しとくれ。と駄々っ子のような事を言い出します。

どこまでもフランス人って面白いですね。
先日はカナダのレストランでボーイをやっているフランス人が雇い主から、態度がでかくて行儀知らずで無礼者という名目で解雇されました。もちろんそのフランス人はカナダ人のパトロンを訴えました。言いぐさがふるっています。
カナダ人のパトロンはフランスの文化を差別した。我らフランス人はダイレクトで表現豊かな気質を持っている。私はフランスのレストラン業界において平均的なボーイである。

カナダ人のパトロンはその訴えを破棄するよう求めましたが、裁判官は、いやいや、どのようなフランス文化を引き継いで悪く取られるような行動を取るのか、その点を明確に説明するように、とフランス人ボーイに言い渡し、裁判は続きます。

私もパリのキャフェは居心地が良く思えません。うるさいし、席が窮屈だし、テーブルをちゃんと綺麗にしてくれないし、ボーイは頼んだことを素早く忘れるし、生ぬるいコーヒーを平気で持ってくるし、勝手にチップ取ったりするし。あまりにも愛想が良くて、おしゃべりなのも、あーたと話に来たわけじゃないんだからと迷惑です。
1日1回はキャフェに行かなきゃ気が済まない人の気が知れません。パリの有名所のキャフェのボーイは世界中で引っ張りだこだと聞いたことがあるのですがね。

数日前に電話で問い合わせ、大変丁寧な対応で、直ぐにお調べしてお知らせいたします。とメールアドレスに固定電話番号、携帯番号を聞き出したくせに案の定なしのつぶて。こちらから再度電話をして、電話に出た人に、先日問い合わせたのはあなただと思いますが、その後どうなりましたかと聞いみりゃ、オー、マダムミツイですね、ええよく覚えていますよ。あなたのメールアドレスは・・・・・・、携帯番号は・・・・・・・固定電話は・・・・・、と得意そうに述べています。で、問い合わせた件はどうなりましたか?私が想像しますに・・・・・・・・。と自分の見解をぺらぺらぺら。おめーの脳みその中身を聞いてるんじゃないんだよ!

今更ながら、変だわフランス人って。

 

 

 

 

ヴェルサイユ宮殿へオペラ鑑賞に行こう!

ヴェルサイユ宮殿の中にオペラ座があるのをご存知ですか?宮殿見学では入れない場所なので、”あらそんなのあるの?”と首が前に突き出た方も多いかと思います。
1770年、ルイ16世とマリー アントワネットの結婚パーティーの為に造られたオペラ ロワイヤル ドュ シャトウ ドゥ ヴェルサイユ。ルイ14世の時代から構想はあったのですが、中々ピンとくるアイディアが無かったり、財政難だったり、戦争が忙しくそれどころでなかったりで実現に至らず。

 

 
それまでは大掛かりなパーティーはその都度仮設しては壊し、仮設しては壊しでお茶を濁していました。いよいよ孫ルイ16世が結婚という事で、ルイ15世が建築家をイタリアへ視察に行かせたり、本格的にオペラ座建設が始まりました。何はともあれ結婚式の日取りに間に合わせるのは絶対です。やればできるフランス人、何と22か月で完成させました。

内装は全部木製、大理石と見える柱も目くらましの木です。当時は蝋燭が照明でしたので、火災の危険が大だった為、大きな貯水タンクが設置されていました。
客席の床はギシギシする板張り。椅子はベンチです。それも今は小さな背もたれが付いていますが、当時は背もたれ無しの本当の長椅子でした。
オペラ上演の他、舞踏会、宴会、コンサートなど多目的ホールとして使用できるよう、2日がかりで床をせり上げ舞台と同じ高さにして広い平面にするなどのカラクリがありました。

 

ルイ16世とマリー アントワネットの婚礼パーティーに完成したので、あまり長い間使用されていません。何しろフランス革命が起こったのでヴェルサイユ宮殿自体、家具など略奪されたうえで長い間放置されていましたから。オペラ座も国民議会になったりしながらも1950年まで放っぽりぱなしでした。罪な事です。
2009年、再び公演できるよう舞台部分の大改造をしましたが、美しい客席部分は当時のままです。そして2009年からオペラやコンサートを開くようになりました。ハレル~イヤ~。

次回は3月9日、10日にオペラ、3月17日はピアノのコンサート。という感じで月に2~3回催されます。

面白い裏話ですが、パリガル二エのオペラ座の舞台部分は1mm違わずここヴェルサイユ宮殿のオペラ座のコピーです。建築家のガル二エさん、時間がなくて色々研究する暇がなかったので、手っ取り早く当時ヨーロッパナンバーワンと言われたヴェルサイユ宮殿のオペラ座をそっくり頂いたわけです。

オペラを見ながら是非18世紀のフランスの美の集大成の中にとっぷり浸ってください。貴重な体験間違いなしです。

プログラム、予約等はキフキフパリまでお問い合わせ下さい。喜んでお手伝い致します。http://kiffekiffe.com/contactus

 

 

 

 

 

 

エクトール ギマール

9月から始まったギマールのメザラ邸の一般公開。絶対絶対行かねば、と心に刻んだものの、週末のみなので中々時間が取れず、その内すっかり忘れてしまっていたのが、たまたま近くを通ってもメザラ邸の前に来てポスターが貼ってあり、アラ何かしらと読むまで思い出さなかったという重症さでした。大変大変明日までじゃないの。

翌日、気軽にのんびり夕方に行ってみりゃ行列を作っています。後ろに並んだマダムが”だ~れもいないと思って来たのに”と言ったのを、私も、私の前に並んでいたマダムも同時に振り返り、”私もそう思った”と合唱しました。
 

 

 

 

 

エクトール ギマールとは、パリのアール ヌーヴォーの代名詞的な地下鉄のくねりとした入り口をデザインしたあの人です。ロンドン、ニューヨーク、シカゴ、ブタペストの次、1900年に遅ればせながらパリに地下鉄が登場しました。先越された口惜しさに何とか奇想天外な皆を仰天させるデザインを公募。既に”悪魔の館”などとスキャンダルになったカステル ベランジェを造り、地下鉄会社の社長さんちの居間のインテリアも手掛けて、ギマールの独特のセンスは証明済み。ギマールにポンと木槌は打ち落とされました。

 

 

張り切って数種類の奇妙な地下鉄の入り口をデザインしたというのに、お次のアール デコの登場でアホな事に半分近く壊されてしまいました。
時は第一次世界大戦が始まりました。余計な飾りがクニャクニャ付いているアール ヌーヴォーはコストが高くつきます。もっとすっきりいこうや、その方が安いし、という事でアール デコが登場し、アール ヌーヴォーは流行遅れで悪趣味ね、と落っことされました。ギマール自身、第一次世界大戦が始まるやとっとと愛妻の国アメリカへ移住してしまった為、人々も彼の事はころりと忘れてしまいました。

文部省が持ち主のメザラ邸は最近まで、羨ましい事に近くの高校の女子寮でした。さて今後どうするかの合間に、ギマールアソシエーションが扇動して、一般公開をしてくれたのです。内部をなんとか見たかった私は、手を取らんばかりにメルシ―を連発しました。

 

 

 

 

 

 

ギマール作の内部を見たのは初めてです。妄想を裏切らずユニークです。建築、室内装飾に家具のデザインもギマールです。彼は何にでもデザインが思い付くようで結婚式の愛妻のドレスも靴も手掛けたそうです。

それで、これからここはどうなるのですか、の私のしつこい質問に、肩をすくめるばかり、”「ギマール」、「アール ヌーヴォー」ってタグあんまり人気じゃないのよね。” ”そんなことないでしょ、ベル エポックの要じゃないですか” ”本当にそうなのよね” と眉毛は下がったまま、肩は上がったままのギマールアソシエーションの面々。

 

コルビジュエの作品は日本でも見られますが、ギマールやラヴィロットなど突飛なアール ヌーヴォーの作品は日本では中々見られないと思います。
建築好きな方、パリにいらしたらお見逃しなく。キフキフパリでもご案内しています。