フランス人サッカーへの熱い思い

ワールドカップが見事な結果で終わり、息子も無事家に帰ってきました。と言っても別にロシア迄出っ張っていたのではないのですが、試合は頓珍漢な母がいる家で見るのではなく、どこぞの盛り上がる場所で見ていたようです。現在6か月の企業研修に行っている彼はサラリーマンの様な時間帯で勤務しているのに、フランスが勝てばこみ上げる嬉しさをとっくり満喫する為にどっからでも歩いて帰って来るらしく、真夜中に家に着いて、朝も早よから出かけるため、私とはバスルームですれ違うぐらいでした。
決勝戦の日曜日、朝方帰って来たくせに、お昼前からお風呂に入ったりしてピッカピカにして、東京事務所の土田とスカイプミーティングしている最中の私に、お昼ご飯早くお願いと小声で言います。訳を聞けばエッフェル塔の麓のシャン ドゥ マルスに決勝戦を見に行くからとのこと。それはそれはと、ミーティングを中断してお昼ご飯の支度をしたのですが、17時からの試合の為に13時に現地集合という待ち合わせをしたからと詳細を聞いてアホかと思いました。
ガサガサご飯を食べて、出かける彼の背中に夕食はどうするの?と聞けば、「いらない」「フランスが負けても❓」「負けたらご飯なんて食べる気しないよ」
フランス中アホの固まりになったのか、息子が出て行ったお昼過ぎ頃から街中わさわさし始めました。
試合中、開けた窓からグワングワン音が入ってきて、テレヴィを見ていなくとも、試合の様子が分かるようでした。そんなもんですから、勝った時の騒ぎは大変なものでした。第2次世界大戦が終結して、ドイツ軍がパリから引き揚げパリが解放された時ってこんなだったんではないかしらと想像出来たほどです。
結局、息子達は13時にシャン ドゥ マルスに行ってももう満員で入れなかったそうです。
 
 
月曜日は凱旋パレードでした。凱旋パレードと言えばナポレオンが造った凱旋門があるシャンゼリゼ通りです。何故か分かりませんが2時間遅れて19時頃に選手を載せたバスはようやっとシャンゼリゼに姿を現したようです。
14時頃マドレーヌの辺りに居たのですが、既にコンコルド広場は地下鉄が封鎖。街行く人は一様に張り切りサッカーの出で立ちでした。気温30度の中、今から何処へ行くのと思ったのですが、彼らもず~~っと待っていたのですね。
月曜日の夜、翌日のお客様のホテルにご挨拶の電話をしたのですが、何度電話しても未だチェック イン されていませんとのこと。ニュースを見て分かりました。サッカーの選手達もそこのホテルにその晩泊まるので、ホテルの前は通行禁止になっているようです。もう一度ホテルに確認して見ましたら、裏の道に車を付けて頂ければ、直ぐに迎えに伺いますとのこと。運転手はその旨了解しているようなのですが、とてつもなく時間が掛かっているようです。お疲れなのにあ~お気の毒!
 
 
パレードが終わった選手たちは大統領官邸でサーモンのサンドイッチを振る舞われたようです。久しぶりに息子と夕食を食べながらテレヴィでその様子を見ていたら、
「あっ!エリオットだぁ」と叫びます。小さい時からスポーツクラブで一緒だった子が今や、大統領専属カメラマンになっているそうです。「母さんも良く知ってる子だよ」と言われても、記憶が薄くなっている私は自信なく、そうかもねと言うしかありません。
そして、火曜日。朝お客様をお迎えに行きましたら、ホテルの前は既に報道陣やファンがカメラを構えて待機していました。午後にホテルに戻るとその数はぐっと増えていて、朝から待ってるんか、この日陰のない日差しの中、と改めてサッカーに対する情熱を確認したと同時に、選手達は裏から出るんじゃないかしらと不安にもなりました。
これで夏中フランス人は機嫌良くしていることでしょう。