パリの地下

パリの地下鉄のくねくね通路を歩いていても怪しいドアや穴を見かけることがあるし、地下に不法潜入して楽しい事をしている人達の噂を時々耳にして、大いに有り得るなと思っていました。
12世紀からパリの街を建設する為の石を採掘していた為、地下5mから30mの深さの所をパリ市内のほぼ全域に渡り285Kmの坑道が通っています。
中には2階建ての所もあります。
始めは、考えなしに掘っていた為、地下はチーズのごとく穴ぼこだらけになり、地盤沈下を起こし建物が崩壊したこともありました。
こりゃいかんと慌てふためいて、管理委員会のようなものを作り、状態を検査して回り、少しでも弱くなった所は強化するという敏速に処置するシステムが出来上がりました。
お蔭で今でもこの坑道は使用できます。
例えば、第2次世界大戦時、ドイツの占領下になった時は、ドイツ軍はリュクサンブルグ公園の上院の地下。
レジスタンスは、モンパルナス付近の地下に潜りました。
密輸品の隠し場所や、隠れての移動手段としても大いに役に立ちました。
テレヴィや映画でもこんな場面は良く見る。
うちの地下物置の通路の奥にも誰も使わない開かずのドアがあります。
40年代後半からは、カルチエラタンの学生達がクラスの移動などにも自由に行き来していたそうです。
学生間で代々に亘り地下道地図が受け継がれていたのです。
鉱山学校の学生は学校専用の坑道の広い場所を持っていて、そこの壁を進級祝いの絵やフレスコ画で埋めました。
80年代になりますと、《ラサルZ》というクラブが地下奥深くに誕生し、毎晩コンサートや仮装パーティーなどの乱痴気騒ぎをしていました。
今現在は全ての地下への入り口は封鎖され、表向きは一般人は入れない事となっています。
今正々堂々と入れるのは、カタコンブ。
モンパルナス界隈にある納骨所です。
地下20mの所を2Kmの見学コースが骨の壁で出来ています。
10世紀、現在のレアールにあった無名墓地が一杯になり、近所の住人からも伝染病の元だからなんとかせい!と散々苦情を言われ、パリ市が見つけた所が石の採掘坑道。
いいアイディアです!
色々受け入れ準備を整え1786年から骨の改葬を始めました。
移動はいつも日が暮れてから、黒い覆いをかけて、司祭が道中ずっとお経を読んでいました。
勢いづいてか1814年までパリ中の骨をこのカタコンブに集めまくりました。
これがなんだか話題になり、シャルル10世、フランソワー1世、ナポレオン3世などもお化け屋敷に行くみたいに、怖い物見たさに見物にきました。
今でも人気のスポットなので、1時間待ちは普通です。
130段の階段を下り、83段の階段を上ります。
気温は年中14度。薄ら寒いです。
見学時間は45分。あっという間です。
注意書きに心臓の弱い人、呼吸器に問題のある人はお勧めしません。と書いてあります。
出口は入り口とどんでもなく違うので気をつけて下さい。
出口前にあるお土産やはおかしい。
カタコンブ内の骨壁
 
 
 
 
 
 
カタコンブの入り口、建物正面。
 
 
CATACOMBE
1 PLACE DENFERT-ROCHEREAU 75014