赤い糸

何の脈絡もなく、あーあの映画もう一度見たいな、とか、あの本もう一度読みたいな、とかあの絵もう一度見たいなと思いつき、そのことが頭の中でぐるぐるしていると、そのうちテレヴィでその映画をやったり、誰かがその本の事話したりとか、ハタと思う事が起こることがあると思います。
小指と小指という人間を結ぶ赤い糸は、プッ、アホくさっ、と思うのですが、物と物を結ぶ赤い糸の存在は感じます。
数ヶ月前、近道する為モンパルナス墓地を通り抜けていて、ジャン ポール サルトルとシモンヌ ドゥ ボーヴォワールのお墓の前を通った時、2人の事が頭の中にぐるぐるしました。すると数週間後に2人の映画をやりました。私は前につんのめりながら見ました。
サルトルといえばモンパルナス、サンジェルマン界隈のキャフェにたむろっていたインテリ達の中心人物でした。ボーヴォワールは彼の永遠のパートナー、同志でした。
そして先日はテレヴィでボーヴォワールのドキュメンタリーをやっていました。寄り目になるほど集中して見ました。
2人は学生の時知り合いました。お互い打てばがんがん響き合い、すっかり意気投合、恋人同士になりました。しかしここがインテリの考えのふるっているところです。お互い自由でいようね、と2人とも他所でやり放題。
サルトルはボーヴォワールにヒキガエルとぴったりのニックネームで呼ばれていたほど、突飛な顔をしていましたが、大きな知性が磁石になっていくらでも女の子が引っ付いてきます。
ボーヴォワールはサルトルからこれまた上手く言い当ててビーバーと呼ばれていました。
良い頭が良い顔を導いているという魅力的な顔です。
彼女は女子高校の哲学の先生でした、その女生徒をたらし込んだり、もちろん男の人も何歳でもOKみたいな、自由奔放というか放埓というか乱痴気というか、おやまー!な生活態度でした。
実際テレヴィでは晩年の彼女のボーイフレンドだったという男の人が出ていたのですが、靴の修理屋かなんぞの風体で、まだまだピンシャンした人でした。すっかり婆さんのボーヴォワールのボーイフレンドだった当時はまだ彼は20代だった訳です。
何故からしてこんな人になったのかと言いますと、彼女が生まれ育った家は上流でカチカチのカトリックという環境でした。女に教育は無用、かえって毒!という考えの両親です。
賢いシモンヌは大いに反発して、御両親が聞いたら心臓麻痺起こすような事ばかり思いついたり、しでかしたり、書いたりしました。
先日、夏休みの報告し合いがてらご飯を食べに友達の家へ行きました。話が大いに外れて、アパートの住人の話になった時、『ところでこのアパートって誰かやんごと無き人が住んでないの?』と聞くと、『マン レイが少しの間住んでいたわね、それからーーーー、シモンヌ ドゥ ボーヴォワールが晩年住んでいたわよ。』ヒエー赤い糸!『どどどんな人だった?』『コンニチワも言わない、いつも機嫌が悪そうなバーさんだった。』
そのアパートはモンパルナスのアトリエの代表的なアトリエの一つ。晩年のサルトルはそこから少し離れた、モンパルナスタワー前のモノプリというスーパーマーケットの上のアパートに住んでいました。ずっと付かず離れずの2人でしたが、最後は2人揃って同じお墓に納まりました。
ひょっとしてこの2人は赤い糸で結ばれてたってことになるのでしょうか?