9月から始まったギマールのメザラ邸の一般公開。絶対絶対行かねば、と心に刻んだものの、週末のみなので中々時間が取れず、その内すっかり忘れてしまっていたのが、たまたま近くを通ってもメザラ邸の前に来てポスターが貼ってあり、アラ何かしらと読むまで思い出さなかったという重症さでした。大変大変明日までじゃないの。
翌日、気軽にのんびり夕方に行ってみりゃ行列を作っています。後ろに並んだマダムが”だ~れもいないと思って来たのに”と言ったのを、私も、私の前に並んでいたマダムも同時に振り返り、”私もそう思った”と合唱しました。
エクトール ギマールとは、パリのアール ヌーヴォーの代名詞的な地下鉄のくねりとした入り口をデザインしたあの人です。ロンドン、ニューヨーク、シカゴ、ブタペストの次、1900年に遅ればせながらパリに地下鉄が登場しました。先越された口惜しさに何とか奇想天外な皆を仰天させるデザインを公募。既に”悪魔の館”などとスキャンダルになったカステル ベランジェを造り、地下鉄会社の社長さんちの居間のインテリアも手掛けて、ギマールの独特のセンスは証明済み。ギマールにポンと木槌は打ち落とされました。
張り切って数種類の奇妙な地下鉄の入り口をデザインしたというのに、お次のアール デコの登場でアホな事に半分近く壊されてしまいました。
時は第一次世界大戦が始まりました。余計な飾りがクニャクニャ付いているアール ヌーヴォーはコストが高くつきます。もっとすっきりいこうや、その方が安いし、という事でアール デコが登場し、アール ヌーヴォーは流行遅れで悪趣味ね、と落っことされました。ギマール自身、第一次世界大戦が始まるやとっとと愛妻の国アメリカへ移住してしまった為、人々も彼の事はころりと忘れてしまいました。
文部省が持ち主のメザラ邸は最近まで、羨ましい事に近くの高校の女子寮でした。さて今後どうするかの合間に、ギマールアソシエーションが扇動して、一般公開をしてくれたのです。内部をなんとか見たかった私は、手を取らんばかりにメルシ―を連発しました。
ギマール作の内部を見たのは初めてです。妄想を裏切らずユニークです。建築、室内装飾に家具のデザインもギマールです。彼は何にでもデザインが思い付くようで結婚式の愛妻のドレスも靴も手掛けたそうです。
それで、これからここはどうなるのですか、の私のしつこい質問に、肩をすくめるばかり、”「ギマール」、「アール ヌーヴォー」ってタグあんまり人気じゃないのよね。” ”そんなことないでしょ、ベル エポックの要じゃないですか” ”本当にそうなのよね” と眉毛は下がったまま、肩は上がったままのギマールアソシエーションの面々。
コルビジュエの作品は日本でも見られますが、ギマールやラヴィロットなど突飛なアール ヌーヴォーの作品は日本では中々見られないと思います。
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