カオスのバッグの中をひっくり返している時に携帯が鳴りました。番号からみて日本からのようです。『大丈夫なの?』『何が?』『知らないの?』『何が?』『パリで銃撃戦が起こっているんだよ、本当に知らないの?』その時パリの9区に居たのですが、全く知りませんでした。街の様子も変わりありませんでしたし。
その電話の後、携帯はバッグの中に放り込まれたので、電話が鳴っていたのも気が付かず、夜見てみると、心配した人達からの電話とSMSの着信歴がたんまり残っていました。
”私はシャーリー”というこのスローガンはフランス人のグラフィック デザイナーが ”シャーリー エブド” という新聞社がテロにあった15分後にツイッターで流したのが、光線の如くのスピードで広がったのです。翌日にはロゴの入ったTシャツを着ている人もいるし、ロゴのバッチを付けている人もいるし、大きな垂れ幕もすでに出来あがって掲げてありました。
今ではブティックやレストラン、住居、会社、区役所などあらゆる所に貼ってあります。
この写真の横断幕は主語が複数になり、”私達はシャーリー” となっています。
外国の首相なども翌日にはパリに集まり、デモ行進に参加するなど、あまりのスピーディーな反応に感心するばかりです。
同時に、これからもっともっと超特急で事が運ぶであろう世の中に付いて行けるのかとの心配も積のります。
こういった事件があると、必ずヒーローが出現します。
今回のヒーローは、ユダヤのスーパーで人質にあった従業員です。
彼は24歳のブラックで、なんとイスラム教徒です。イスラム教徒の彼は敬虔なるユダヤ教徒ご用達のスーパーで働いていました。テロリストが押し入った時、彼は買い物に来ていたお客さんを冷蔵室に隠しました。冷静で立派なのは、きちんと電源を切って冷蔵室内の温度を上げるようにした事です。自分は荷物リフトを使って上手い事外に出て、警察に中の様子や店の造りを説明し、警察が最善の作戦を立てるのに大いに役に立ったわけです。
シャーリー エブドを襲撃した兄弟が立てこもった印刷工場の工場長さんも、いたって冷静で、2人にコーヒーをご馳走して、怪我の手当てまでしてあげたそうです。
編集長を始めメインのイラストレーター達を失い、仕事場すら無くなった、シャーリー エブドの残された社員達は、テロリストなんかに負けてたまるか、休刊なんかしないで発行を続けるぞ、怖くなんかない!とジンジンとしています。そんな彼らを、何時まで居てもいいからね、とリベラシオン新聞社が社内にスペースを空けてあげました。
日本の知り合いや、もう直ぐパリにいらっしゃるお客様から、『怖くないの?』『危険ではないの?』と聞かれます。私は『大丈夫』と感じます。
なぜならは次回に書いてみます。