昨日の木曜日、休憩がてら近所の教会に寄りました。
ここはうちの息子の学校の行きつけの教会なので良く知っている教会です。
小さいミサの時は、ここの神父さんが学校まで出張してくれる程お得意さんです。
前の神父さんは、まるで70年代のヒッピーみたいで、あのでろんとした教会ユニホームの下はスマイリーのTシャツに違いないと確信しそうなほど、マリファナも似合う、話もざっくばらん、というお方でした。
んで、木曜日ですが、前にキリストさんの最後の生活をお話ししたように、木曜日は《最後の晩餐》日でした。
なので教会はその用意をしているところでした。
丁度私が行った時は足洗いのバケツや水やタオルを用意しているときでした。
行事係みたいなおじさんが紙を見ながら、見習い神父みたいな2人にあれこれ指示をしながら事を進めていました。
後は種無しのパンとワインかね。と待っていたんですが、しょうもない愚図で,イラチなあたしは帰ってきてしまいました。
夜テレヴィでヴァチカンのパップも足を洗ってあげてる光景を見ました。
キリストさんが弟子達の足を洗ってあげたから、年寄りパップもこんな事しなければなりません。
この《最後の晩餐》って言い方は日本語だけなような気がします。
本来はこの食事はイスラエル人が奴隷として住んでいたエジプトから逃げられたことをお祝いする《過ぎ越しの食事》のことで、この祝いの食事が最後という事だそうです。
この《過ぎ越しの食事》はユダヤ人にとってとても、イヤ一番かも、大切なお祝いで、今でも皆祝っています。
私も招待されたことがあります。
なくてはならない《マッシァ》という種なしパンはイスラエルの親戚が送ってきた物、羊のお肉はあそこのスペシャルユダヤ肉やのとか、ワインはどうしたとか、が用意されていて、手を洗ったり、長い長いトーラ-の朗読だとか、ハイ、今ワイン飲んで、ハイ、今度はパン食べて、とか目をぱちくりしっぱなしの興味深い夜を過ごしました。
今日は、《グッドフライデー》キリストさんの受難日です。メル ギブソンの映画見ましたか?
何で、我らのキリストさんが死んだのに、《グッド》なんて付けるのかと思って調べてみましたら、《ゴット》がなまって、って説がなんとか納得しました。
ほんでば今日はどうなっているのか、遠回りをしてまで昨日の教会を見に行ってきました。
普段人っ子一人いないような、地味な教会なのにポツポツとしんみり座っている人がいました。
心配したのは、大理石の階段にずーと跪いて祈っている人。膝が割れちゃうんでないかもう心配で心配で、その人が立ち上がった時には、それもスックリと。ハーァと自分の肩の力が抜けたのが分かりました。
今日はお説教が無い日なのでか、神父さん達もぼーとその辺に座っていました。
つづく