この頃では、被災した方々のインタヴューがたくさん聞かれますが、方言のせいだけでなく、皆さん話し方がなんとも優しい。
なんでだろうと考えながら歩いたり、料理したりしてるんですが、視点の観点が違うようなのかしら、と思いました。
例えば、津波の側の方から見てるような。何にでも魂が有るというフィロゾフィーなのか?
動詞や目的語の使い方が東京の方のそれと違うような。
それともただ単に言葉の最後があいまいなほわんとした音で終わるからなのか?
男の人、特におじいちゃん達の話方がとても優しいと思います。
この大惨事で外国人がすんごいね!と褒め称えながらも、新たに理解できない日本人の行動様式を発見したわけですが、私もあらゆる人に聞かれました。
何故もくもくとしていられるのか?
何故気がふれたように暴れないのか?
何故散乱したスーパーの商品をレジに並んでお金を払って買うのか?
私達の心の基準は儒教と神道が入り混じって出来上がったんではないでしょうか?
それに田んぼ文化。
田作りは村の共同作業、皆で一緒に!皆の力で!っていうスローガンがすっかり私達のADNに絡まりついているんでしょう。
だから自然とそのように体が動くんだと思います。
感情を剥き出しにすることは美しくない。
心が欲に満ちなければ心と理は一体となる。と日本人の心は決めているんだと思います。
それを何もかも違う他の国の方々には分からないでしょうね。
同様に私達も他所の国のそおいった事情は分からないものです。
違うということが面白いというだけで。