さすが長い間絶対君主の王様がいたフランス。パリから郊外電車に20分も乗っていりゃ、お城がごっそりあります。
お昼ごはんを食べて、天気がいいから散歩がてら行ってみたのは、シャン シュール マルヌ城。6年間工事をしていて閉まっていたお城です。
郊外線に乗るといつも何故か逆方向の電車に乗ってしまうという悪い癖がある私は、相当緊張して呆れるほど確認してからA号線に乗り込みました。
次の停車駅に到着してやっと正しい方向へ行っていることが確認できてホットしたのもつかの間、途中枝分かれしているという複雑怪奇な路線なので、ひやひやしながら電車に揺られること約20分。
郊外の駅に降りてからが、これまた不安になる雰囲気。先ず匂いがします。ニンニクやら香辛料の匂い。不思議です、駅なのに。
ラッキーな事にバス乗り場は目の前で分かりやすいのですが、次のバスまで20分も待たなくてはなりません。バスを待つ間、音楽を放送局のように流しながら通り過ぎてゆく車が多いのにど肝を抜かれ、バスを待っている人達が皆知り合いみたいなのにも、もう一度ど肝を抜かれているうちに、きゅきゅきゅきゅ~っと暴走族の様な運転で到着したバスに乗り込みました。
本当にこの先にお城があるんかい?と、はたまた不安をかもし出すような街並を通り抜けてすんなり無事到着。
髪型で有名なポンパドール伯爵夫人なんかも住んだお城です。革命後、色々な人手に渡って最終的に今の状態にしたのが、18世紀を愛してやまない銀行家のカーン ダンヴェールさんです。
ですので、お城の内装、家具などは18世紀の物が集められていますが、王家ではなく、19世紀のブルジュワの住まい的に快適になっています。
例えば絨毯が敷いてあったり、椅子やソファーが近くに配置してあってコージーな感じです。お風呂場の造りも今でも通じています。
結局、アホ息子が税金が払えなくなったのか、息子の代で手放しています。その後、国の所有となり外国の大統領のレセプションなどに使ったりしていました。
現在は一般公開していますが、冬の間は週末しか開けないなどのわがまま振りです。
空いていたので、快適に見学できたのに気を良くして、これまたタイミングよく来た帰りの電車に、パーフェクトじゃないのと乗り込みました。パリの先から又、枝分かれしている停車駅を眺めていましたら、メゾン ラフィットに止まりますマークが点いています。時計を見ると16時少し前。何しろご機嫌状態ですので、そのまま乗ってパリを抜けて行ってみることにしました。
メゾン ラフィットは北の方向のパリ郊外にある高級住宅地です。そこにもお城があります。当時の国会のプレジデントがお城が得意の建築家のマンサールに造らせたお城です。新築祝いには、ルイ14世とお母さんのアンヌ ドートリッシュを貴賓としてお招き、花火を打ち上げたり派手にお祝いをしました。
フランス革命の間は封鎖されていて、革命後は、ナポレオンの右腕の元師が持ち主となったため、ナポレオンもちょくちょく訪れたお城です。その後、19世紀になると、お決まりの銀行家がお買い上げなりました。
このお城は、王様や女王様など王家の方がたの出入りも多かったのですが、それだけではなくヴォルテールなどの作家、思想家なども頻繁に訪れていたお城です。
お城としての見所は、王様のトイレとか大した物は無いのですが、駅からお城へ向かう街並が大変素敵なんです。
アパートばかりのパリ市内では見られない、リッチなフランス人の家の様子が伺えます。
他にも有名所ではランブイユ、フォンテンブロー、シャンティー,ヴェルサイユ宮殿が真似したヴォー ル ヴィコントなど世界中からの観光客が押し寄せるヴェルサイユにも負けないお城がパリ郊外に点在しています。
絶対政権下では、王様の側近やお友達達も皆お城を建てて自慢し合っていたのでこんなにあるんでしょうね。一般公開されていないお城、又は個人で持っていて、実際住んでいるお城などを含めたらどんだけあることか。
今買おうとしたら、お城自体はそう高いもんじゃないんですよ。しかし維持費がとんでもなくかかるので、個人で所有している城主はレセプションでホールを貸し出したり、お化け大会などのイヴェントを企画したり、民宿にしたりして屋根の工事費や暖炉の煙突を積み直す費用を捻出してなんとか遣り繰りしているそうです。
そんな思いまでして、寒くて不便なお城に住む人の気は知れませんが、訪問するのは楽しいものです。
午後に近くのお城を2軒訪れただけなのに、なんだか遠くに旅行してきたみたいで、大きく気分転換ができました。