映画と現実の比較論

そんなこと現実にあるのかなと思いながら映画を見ている時があるのですが、日本で見たら嘘くさい映画でもフランスならあるあるという点を見てみたいと思います。
えへん。
例えば、近年には珍しく、もう1度見たいと2度見た映画、Call ME BY YOUR NAME.
主人公のエリオ役のティモテ シャラメは日本では、ごっつい美青年と思われているようですが、マレ地区のユダヤ人学校を覗いてみれば、あの顔だちの子はホイホイいると思います。日本女子がキャー素敵あの人。なんてうっとり眺めているキャフェのボーイなんかを振り返ってみれば、へっあれが~ぁ?と趣味を疑うのですが、日本人にない面構えというだけで何でも恰好良く見えるという現象なのでしょう。とは言え、ティモテ君は何といっても仕草がとってもチャーミングです。動いているのをずっと見ていたい強い磁石があります。
舞台になっている1983年という時代に、両親がホモセクシャルにあんなに寛容というのもあるかいな?という感想もありますが、パパは考古学専門の大学教授です。古代ローマ ギリシャと言えばホモカップルが手を繋いで大手を振って大通りを歩いていた時代。妻は子供のおっかさん、恋愛対象外。熱い恋愛は男の子と、という時代です。その専門家となればホモセクシャルには違和感はないと思います。現にホモカップルをディナーに呼んでいるし。
別荘でのヴァカンスの過ごし方。正しくヨーロッパ人のアート ドゥ ヴィ―ヴルが見られるこの北イタリアの別荘もきっとママの実家が代々持っているメゾン ドゥ ファミーユなんだと思います。別荘の大きさ、素敵さはさて置き、夏休みやクリスマス休暇を家族で過ごす別荘。朝起きたら村まで自転車で行って、新聞とタバコとパンを買いがてら一杯コーヒーを飲んで、常連達とアホな冗談をかます楽しみ。本を読んで、散歩して、昼寝して、友達呼んで食事したり。子供達はやはり別荘に来ている近所の子や地元の子達と遊びまくって。村の主婦にアルバイトで食事や掃除を任せて、のんびり何もしないで休む。映画の様な様子でヴァカンスを過ごすフランス人はそれほど珍しい事ではありません。観光旅行に行く方がよっぽどの散財になります。
家族の中で2,3か国語が飛び交うのもパリなどではよくあることで、ドイツ人のパパ、スペイン人のママの間に生まれた子はパリ生まれパリ育ちともなれば普通に3か国語が入り乱れます。
映画の画像が全体的に知的で美しいのは、今では目にしないわけにはいかない、携帯においかぶさっていたり、パソコンの前で痴呆面下げて必死のパッチでゲームしているというシーンがないからだと思います。そこら中に積んである大量の本とピアノさえあれば教養が染み出る絵になります。なのにちゃんとテレヴィがあって、夜皆でくだらん番組を見ているのも、かちんこちんの気取ったインテリじゃなくとってもリラックスしています。それに、さすがホモの監督だからこそ思い付く場面やせりふには思わずニヤリとします。
何度かブログにも書きましたが、天に二物も三物も与えられた人間ってその辺にいるんです。家柄、社会的地位、財産、頭脳、美貌、家族愛。私等凡人はこの中の1つを持っているだけで幸せを噛みしめられるのに、この映画の家族のように一人でこれら全部持っている美しき人々。現実にいますいます。なんせ神様って相当えこひいきしますから。
映画を見ていて、私がへぇと思ったのは、17歳のエリオが自分の悲しみを素直に両親に見せているのが、そんな5歳の子供みたいに自分の感情を親にぶっちゃける子がいるんだと不思議でした。
ところで、映画の中で何度も聞こえるこのユダヤ人独特のエリオという名前、日本男子にも相通じる名前だと思うのですが。襟男が一番クールだと思いますが、イヤというなら江利緒、恵理央、得利雄 etc….
日本では、えりおの”お”の部分にアクセントを置いて、一度海外に出たならば、えりおの”え”の部分にアクセントを置けば世界中で違和感のない名前になります。
今度孫か犬に付けようこの名前。
どんな映画かご覧になっていない方にはちんぷんかんぷんのお話でした。