幸せになろう

幸せさん世界一は相変わらず北欧の国が占めているのは一体何故?と常々思います。
2019年はフィンランドが一番幸せさん。森があって、サウナがあって、家族が一緒に過ごす時間が沢山あって、ってことが人間に幸せを感じさせるのでしょうか。それともあまり欲がないという事か?

日本は58番目、フランスは35番目にランキングされています。フランス人の半分は幸せだわ、と感じているそうです。
フランス人というかパリジャンが、あ~幸せ!と感じる時と私も同感な点は、
ホームに着くと同時に地下鉄が来た時
早朝清々しいパリを歩く時
真新しいシーツに寝る時
本の香りを嗅いだ時
朝目が覚めて、今日は何も用がないと分かった時
テラスで一杯飲んでいる時に太陽が顔に当たる時
パン屋の前を通って焼きたてのパンの香りを嗅いだ時
やるべきリストに線を引いていく時
雨の日、暖かい家の中に居られる時
等々、こんな些細な事で一々幸せを感じて行かなければやっていけない世の中です。

アメリカでは、クァドゥル パーティーなるものがあって、参加者達が合意の下で抱きしめ合う会があるそうです。1時間70€也。抱きしめ合う事で幸せホルモンがジョワジョワ出るそうです。私は70€貰ってもノー サンキューだわ。

ヴァカンスに出れば、たとえ海辺で大雨に降られようが、スキー場でカンカン天気になろうが超ご機嫌になるフランス人。このイースターのお休みは、3人に1人と例年以上に出かけるフランス人が多く、国内だけでなく、太陽を求めてリスボン、マドリッド、ローマ辺りが人気だそうです。
近所のパン屋も1週間休んでいたと思ったら、こんがり日に焼けて戻ってきました。

10日間ぽっちの休みをどう過ごしていいか分からないなんて言わず、何にもしないという事にも幸せを感じるアンテナが58番目の日本人には必要なのではないでしょうかね。
ヴァカンスとは空白とか無為ということなんですから。

フレンチ ニュー ウェーヴ

3月29日に亡くなった、アニエス ヴェルダの映画、エイズで亡くなった夫である “ジャック ドゥミの少年期” がテレヴィで放送されました。ジャック ドゥミと言えば、下手なんじゃないの?と思うようなカトリーヌ ドゥヌ―ヴが歌うミュージカル映画、シェルブールの雨傘等の監督として有名です。その古いフランス映画を見ていて思い出したのが、肉まん。

昔々、よく姉と今は無き京橋フイルムセンターにフランス映画を見に行っていました。それこそヌーヴェル ヴァーグのヴェルダ、ゴダール、トリフォーなどの映画です。脳みそも何もかもが幼かった私は、さっぱり分からないと首を振り振り家路につくのがいつもでした。
姉妹が揃って映画に行くとなると、当時肉まん作りに凝っていた母は、当然おやつとしてホカホカ肉まんを持たせます。な訳で、ヌーヴェル ヴァ―グ=肉まんは私にとって切っても切れない関係なのです。

アニエス ヴェルダは時々見かけました。と言うのも、写真の発明家ダゲールの名を取ったパリ14区のダゲール通りに住んでいたヴェルダの家の直ぐそばのキャフェが、やはり同じ通りに住んでいた友達とのいつもの待ち合わせ場所だったからです。
ずっと変わらないざるを被せてカットしたようなヘアースタイルとピンクや赤の独特なファッションで、言われなくとも直ぐ彼女と分かります。
いつぞやジム モリソンがそのダゲール通りを歩いているヴィデオを見て、何故あんな所を歩いていたんだろう?と不思議だったのですが、アニエス ヴェルダとジム モリソンは仲良しだったと言うのを最近聞いて、あれはヴェルダの家に遊びに行くところだったんだ、と何十年も経ってから謎が解けました。

以前パリ9区の昔の娼婦の館を探しながらフラフラしていたら、トリフォーがこの家に生まれる、という看板が付いたアパートを見つけました。

まさか、京橋フイルムセンター時代の私が、その後ヴェルダを見かけたり、トリフォ―の家の前を通ったりすると知ったら。。。。
万感こもごも胸に迫ります。

ノートルダム寺院の惨事

本当に世界中に大きなショックを与えたノートルダム寺院の火災。たまたま近くで、アぺリチフを楽しんでいた私達は、何あの煙?と行ってみればぼうぼう炎を上げているノートルダム寺院。嘘でしょ、嘘でしょと百万回繰り返すばかりで呆然です。涙も止まりません。
家に帰って、食事もせず実況中継のテレヴィにかじりついていました。

教会の天井と屋根の間の空間は”森”と呼ばれる通り樫の木組みで成り立っています。何百年、イヤ樹齢千年なんてあり得る木々です。人間も果物もそうですが年を取ればかっさかさに乾燥します。なのであんなに早く広範囲に火が回ったんだと思います。
何時までも屋根が燃ているのを見ていて、何で山火事の時に出動するエアーカナディアンを使わないのかね、と独り言を言ったら、あんなの使ったら建物を壊しちゃうよ。と息子に軽蔑の眼差しを送られました。そうなのかしら?

鎮火した後でもノートルダム寺院は、さすが石造り、威風堂々としっかり立っています。
内部の祭壇の十字架も何事もなかったように金色に輝き、心配した約8千本のパイプがあるオルガンも無事。熱で溶けたりひん曲がったりもせず、分解して掃除をすれば大丈夫との事です。

マクロン大統領は、ここぞとばかりに、我らのノートルダム寺院を再建しよう!とフランス人の一致団結を呼びかけています。すっかり人気が落ちて、やいのやいの言われているマクロンは、そんなせせこましい事言ってる場合じゃないでしょう、ここはひとつ皆心を合わせてフランスの魂、ノートルダム寺院を救おうではないか!てな感じです。5年で再建させるぞ!の意気込みです。
それにしても、欧米の政治家は演説が上手いです。声の強弱、表情、間の使い方、凄い演技力です。そこへ行くと、日本の政治家、しゃべることが商売の弁護士まで、滑舌悪く、”えー”とか”あのー”とかばかりで何言ってんだか分からないのは何故でしょう。

フランスのお金持ち会社も太っ腹を見せて、どしどし寄付金が集まっています。何しろ60%の免税になるそうなので、きっと修復完成後には寺院内のどこかに名前が刻まれることでしょうし、寄付しない手はありません。

素敵なメールを受け取りました。鎮火に携わった400人の消防士達にお礼のメッセージを送りましょう、というサイトです。
現場でも消防士が通ると皆拍手していました。

あまり話題になっていないようですが、1か月ほど前、ダビンチコードの舞台になって、ローズラインがあるサン・シュルピス教会も小火で一部焼けたのです。
カトリック教徒にとって一番大切な復活祭が始まる週にこんなことになって!
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

魔法の手

肋骨を折って早2カ月近くになり、完全と言っていいほど回復しています。
と皆に報告していた矢先、突然右の肩甲骨から頭の付け根までが痛くなりました。寝違えたのかと揉んだり、温めたり、湿布したりをしたのに一向に治まる気配が無く、そのうち大火傷したような痛みになり、これまた居ても立ってもいられず、呼吸すらできない痛みに襲撃されるようになりました。皮膚は何でもなく、首や肩の動きにも問題がない所を見ると神経がどうにかなっているんだと想像しました。

肋骨骨折の時にお見舞いに来てくれた友達が、絶対彼女の所に行きなさい、と置いていった電話番号に電話をして、”どえらく痛いんです”と訴えました。
電話の向こうの声は、気持ちの良い音程で穏やかに包み込むようで、電話しただけで何だか安心した気持ちになりました。彼女は整骨医です。

予約の日、想像通りの小柄で落ち着いた静かな女性がドアを開けてくれました。通常の整骨医とかけ離れた彼女の治療法。殆ど体に触らないのです。せいぜい軽く手を当てるぐらい。私がすることはきちんと呼吸をすること。30分程静かな時間が過ぎて、”はいもう大丈夫”とニッコリ。まだびりびり火傷の感じがあるけど。。。といぶかると、”48時間は様子を見てね”後48時間痛いのか、とちょっとがっかりして家に帰りました。

私は猫の様に横向きに丸まって寝る貧乏くさい癖があるのですが、その夜仰向けに寝ることが出来なくなりました。仰向けになるとなんだか苦しいのです。そして妙に暑くなるのです。おーお、何かが体内で動いているなという感覚です。そして翌朝、すっかり痛みが無くなっていました。ハレル―イヤ!

肋骨を折った時にあまりの痛みで内臓もギュッと収縮し、息もろくにできなくて血液も空気も通わず先端の神経を痛めてしまったようです。きちんと呼吸することがどんだけ大切な事かよくわかりました。

保険も効かないし、高いのでそうそうは通えませんが、心強いアドレスを貰って本当によかった。
彼女は催眠術もできます。何かお困りのことがある方、そっとお教えします。

思いの違い、フランス対ニッポン

最近へぇーと思ったことです。
日本人の常識的行動として、親御さんの体調が悪くなったり、入院されたりした場合旅行は先ず取り止めますよね。お客様や友達でも、父親が入院して、となれば旅行をキャンセルされます。当然です。

私の旅好きな友達は、お父様が日に日に死に近づいているというのに、平気で2,3週間遠くの国へ旅行に出かけます。
尊敬する父親に毎日電話をするような孝行息子がです。お父様は一人住まい、看護婦さんが4人交代で24時間付いています。もう電話で話すこともできない状態になっても、アフリカに遊びに行きました。”あんね、こんな時日本人はね。。。。。”と我ら日本人の心情を伝えると、”パパが死ぬのをただじっと待っていたってしょうがないでしょ。その為に僕の生活が滞るのは意味がない”だって。

あとへぇーと思う点は、彼等夫婦は遠くに住んでいる父親の元に住むことも物理的にはできる環境だし、ましてや父親がパリの自分のアパートに戻ってくれば、息子、娘の近くに居られるのに、何故そうしない?
父親、息子その嫁、娘その旦那の5人は仲良しです。これがフランス式個人主義ってもんでしょうか。

病院に入院すればもっといろいろな点で簡単なのではと思うのです。昔何かの本で読んだのを思い出しました。病院とは元々貴族や裕福な人の慈善事業として貧乏人救済で建てたものです。よってヨーロッパ人にとって貧乏人が行くところであって、入院したら最後、元気に退院することはない不吉な場所。ある程度余裕のある人は家で治療するもの。というイメージを持ち続けている階級の人が居るのでしょう。

未だに、火葬に対する嫌悪感を持っているフランス人がいます。その人たちの頭には、お墓に入って待っていると、天使がラッパを吹いて、”はーい、最後の審判の時間ですよ”と呼ばれて、よろりと起き上がって最後の審判を受けに行く。体が無くなっちゃったらどうやって審判の場所まで行けるんだい?と焼いちゃうなんておっとろし。とぶるりとするんでしょうね。
日本人からしたら、遺体が生で埋まっているこちらのお墓は不気味なだけでしょう。

こういった人生観の違いが国際結婚のひびの元になるんでしょうね。

素晴らしき日本食?

ある人を中心に顔見知りだけど、全員一同に会ったことがなかったおばちゃん6人を集めて家でご飯を食べる事にしました。

呼んだからには、メニューを考えて、野菜、果物は朝市で買うので買い物のスケジュールを組んだりして、よっしゃ~と思っていたら、前日になって、”そう言えばあたしらヴェジタリアンになったのよ”とのメッセージ。その”あたしら”2人はユダヤ教徒なので、いつも彼女達の食事には気を付けていたのですが、お肉料理を考えていたので、でんぐり返りました。その他のおばちゃん達は宗教は関係ないのですが、流行りのオーガニック愛好家。私だけです何でも食べる雑食動物は。

したらばと、私の宝箱に入っているヒジキやわかめや高野豆腐を出してきて、豆腐を買いに走り、常備してあるレンズ豆やキノアなどでヘルシーディナーに変更。この気取ったヴェジタリアンレストランのメニューを作っていて思ったのが、日本食を作って食べている日本人には何一つ特別な調理はないなぁ。”きゃ~、大変だったでしょ、こういうの作るの”と皆は感動してくれましたが。簡単簡単、屁の河童。粉を付けて焼いた豆腐に、菊芋、サツマイモ、ニンジン、長ネギ、キノコのココナッツミルクのスープなんて目つぶっても作れます。

楽しい食事中、辞書のような物知りおばちゃんが、あーたこのヒジキどこで買った?パリに住んでいるお陰で友達はしょっちゅう来ます。これがミンクス辺りに住んでいたら誰も遊びに来てはくれないと思いますが。なので私の宝箱に入っているヒジキやわかめ、海苔、お茶などはお土産で頂く日本直の物ばかりです。

物知り彼女曰く、ヒジキはフランスでは輸入禁止になっているそうなんです。ヒッ素やヨウ素が多すぎるらしいんです。体に良いだけが取り柄と思っていた、昆布、ヒジキ、わかめ、出汁はヨウ素含有率がトップですって!

そういえば、東京オリンピックに向けて、選手達の食事で心配事が、日本はオーガニックの規定が緩すぎて、あてにならないそうです。農薬の危険性に対する意識が低くいので、日本ではオーガニックがまだまだ広まっていないのは現状の様です。確かにオーガニックの見本市に行っても、日本のブースは数件、そこへいくと中国ブースはすっごい数出ています。世界の動きをがっちり把握しています。

ダイエットできて、体に良いから長生きできて、見た目も美しいと言う世界の評価の日本食。昔話にならないよう切に願ております。

 

 

 

 

 

 

息子の看護

”やはり1本は確実に折れていますね” と言われて、えええええ~ぇ!!!!となったのは、その言葉でなく彼が振りかざしている紙切れです。
私の常識では、薄い下敷きみたいなのを、電気が点いているパネルにサクッとさして、ボールペンの先でこれこれと指しながら説明してくれるのがレントゲンってものです。それがただのコピー用紙ですよ、今時のレントゲンって!

ひょんな不幸から肋骨をぶつけてしまい、映画の場面で見るのそっくりな本当に震えがくる痛さに見舞われました。肋骨が2,3本ボキバキ折れて、内臓に突き刺さっていると確信しなければあり得ない痛さ。なので折れていると言われて、当たり前やんかと今更でした。

痛さに疲れ果てて眠ったようです。丁度週末なので朝帰りの息子はお昼過ぎに起きてきて、私の状況には気が付きません。
はて?おかんは居るのか?お昼はどうなってんか?とやっと思い付いた息子が見に来て、ベッドで死んでいる私を発見。
その時はあまりの痛さにどこが痛いのか分からず、”背中が痛すぎて動けない”と訴えると、”あっそっ”と通りすがろうとします。”お医者さん呼ばなきゃ”と言ったとたん、5W1Hの質問攻め。ただの怠け癖でベッドから出ないのだと思ったようです。
それからの彼の献身というか何というかの看護振りには語り草になります。

緊急往診を呼べば、ものの5分で来てくれるものとの考えは大いに外れ、3時間位経ってせかせか来た医者。往診を頼んだ電話を切るや否や、きちんとワイシャツに着替えた我息子。てっきり出かけるのかと思ったら、お医者さんを家に迎える為のマナーでした。
脇腹見せろ、背中見せろと言われても、リクエストに中々答えられません。声を出して胸振しても痛いんですから、説明するのすら心もとないです。
横で構えている息子は手にノートとペンを持ち、医者の言う事を速記しています。
おまけに、どんな態勢でいるのが良いのか、食事に関しての注意は? 患部は温めていいのか、冷やしていいのか?
本人が望めは入浴してもいいのか?母は日本人だしこんなにチビなのでフランス人と同量の薬で良いのか?などなどいらん質問攻め。

即薬を買いに行き、3種類の薬の長ったらしいい能書きを隅々まで読んで、私に副作用の説明をし、吐き気用の洗面器、ティッシュ、水、本、メガネ、クッション一杯、毛布一杯、スマートフォン(充電しながら)を私の周りに並べ、何かあったら直ぐ来るからね、と部屋へ下がりました。本当に本当?と思って声を出して呼ぶのは痛すぎるので、SMSで ”SOS” と送信ボタンを押すや否や飛んできました。ドアの外で待機してたの?の不気味さです。
アヘンをたっぷり含んだ薬のお陰でうつらうつらしていたのですが、痛みで体を動かせないので、数時間で床ずれするんじゃないかと思うような不快感。
30分置き位に様子を見にきて、目を覚ましていれば、飲まないのに熱いお茶を入れて、寝ていれば布団を整え。
その時の彼の顔付はヴェテラン婦長さんそのものでした。

翌日、レントゲン写真を撮りに行くにも動けないので救急車を息子が手配しました。平日なので私一人で救急車で行ったのですが、その救急隊員達が何となく引っかかる感じだったんです。とっても優しくて、丁寧だったんですけれども。。。

数日後お見舞いに来てくれた友達に救急車に乗った、と自慢したら、救急隊員は刑務所から出た人達の最初の仕事だよ、と聞いてなるほど!と膝を打ったわけです。

往診に来てくれた医者は折れていたら3か月は痛みがあるから薬を飲み続ける必要があると話しました。
レントゲンの為、病院で待っている間、どうしたどうしたと何度もSMS攻撃をしてきた息子に、レントゲンの結果折れてたと伝えると、ってことは3か月おかんは動けないのか?と真っ青の返信。

で、思ったんです。もちろん身近な家族や友達が病気、怪我などで苦しんでいるのはとても辛くて心配です。でもその心情って、その状況その物が耐えがたいというのではないでしょうか。今回の場合、夜学校から帰ってきても、家は暗くおかんはベッド、ご飯は直ぐに食べられない、食器洗いはしなきゃならない、洗濯物は溜まっている、という悲しい日々だったわけです。この状況でおかんの世話を3か月もするのかと絶望してもおかしくありません。

あのイヤな薬飲まないでも何とか大丈夫そう、と報告すると、2カ月は飲んで、無理はしないように!今大事にしておかないと、又直ぐ折れちゃうよ!と婦長さん顔で諭されました。

 

 

 

 

 

フランスの徴兵制度

今のところフランスは、徴兵制度の名残で16歳から18歳の男女ともに、ある日突然招集令状が来て、フランス国民としてフランスを守る心構えを学ぶ1日講習会に行く義務があります。
高校卒業試験のバカロレアの試験の時に講習会を受けましたという証明書の提出を求められます。

家の息子は移民の子なので、ずっと日本国籍でした。18歳になってからフランス国籍を取得したから忘れられたのか、その1日講習会の招集令状を受け取らないまま今になっていました。

数カ月前、”招集に応えたという証明書がないと大学卒業証明書を出してくれないって!!!”と真っ青なSMSが息子から送られてきました。
だから?あたしにど-しろっての?とピッとスマートフォンを切ってバッグに放り込んだのですが、ってことは次の学校へは行かれなくなるのか?今行っている学校は私立なので、そんなめんどくさいこと言われなかったけど。。。
と、子を思いやる母の気持ち。
結局翌日私が、朝から雨の中区役所へ問い合わせに行きました。区役所の人達は皆優しい人が多いのにはいつも驚くのですが、今回も優しいおばちゃんが、心配ないわよ、この書類を提出すればバッチリよ。と手際よく整えてくれました。直ぐに息子にメールで送ってあげました。ありがとうございます、母さん!の返事で一件落着。

数日後、”ちゃんと招集令状じゃなきゃダメだって!!!”とまたもや真っ青な息子からのSMS。あーこれは意地悪根性に当たったな。”もう直接軍の管轄に電話して、早う呼んでくれと頼みなさい” メールと電話でほとんどハラスメント的にせがんで、やっと3月21日に招集されます、というメールを受け取ったようです。

ナポレオンの時代は6年間の徴兵でした。時代と共にどんどん短くなって1日講習会までになったのに、マクロン大統領は16歳の男女共、1か月泊まり込みの徴兵制度にしようとしています。
先ずこの6月から試験的に2000~3000人の16歳の男女の有志をフランス13県の中から募るそうです。もちろんその13県にパリを含む県は入っていません。
関係者の頭を痛めているのは、アホな16歳の大集団を一体どうしたもんか?何処に寝かせるんか?一体全体幾らかかるんだ?
若者からは、その”義務”っていうのが気に食わない、とフランス人らしいご意見。
30代の若い友達が1日講習会に行った時は、退屈で最悪な1日に備えて皆マリファナ吸ってた、と言っていました。
もう1人の同世代の若者は、え~心臓マッサージとか人工呼吸のやり方とか教えてもらったし、帰りにボールペンもくれたし構面白かったよ。と相反する見解。
はて、あの子は????

 

 

 

 

 

 

テレヴィが見られなくなると。。。。

フランスの家庭ではどこもそうだと思うのですが、インターネット、テレヴィ、電話がパッケージになっています。なのでテレヴィをつけるのには、テレヴィ本体のリモコンとネットのボックスのリモコンの2つを必要とします。そのネットのボックスのリモコンがえらい我が儘になって、反応したりしなかったりの状態が続いていました。テレヴィが無くとも平気な私はあまり気にせず、その問題を解決しようとはつゆとも思いませんでした。

朝方帰って来たばかりの息子が目覚まし掛けて土曜日の朝から起きてきました。てっきり学校に行くのかと思っていたら、テレヴィの前で前のめりに構えています。一向に反応しないテレヴィに頭から湯気を立てています。その様子を見て、幼き頃の私の父の事を思い出しました。

父が夜家に帰ってきて、テレヴィが壊れていると、雷ゴロゴロ、雨ザーザ、風ブワンブワン大嵐になります。

特に野球中継があった日にやぁ、オズの魔法使い並の竜巻まで加わります。

なので、夕方私がアホ面さげて見ていたテレヴィがいきなり消えようものなら、真っ青になって母はいつもの電気屋に電話します。我家の事情を良く知っている電気屋も、すわと緊急出動してくれます。父の帰宅前に無事テレヴィが直り、皆やっと呼吸ができるようになって、全員で大きく息を吐いてニッコリ、というのが良くあったんです。何故たかが野球位で????といつも思っていました。

さすが今時の若者、直ぐに自分で対応策が出てきます。スマートフォンからアプリでテレヴィの操作をしてすんなりと大切な大切なオーストラリアオープンを見ることが出来ました。

大阪ナオミが優勝したおかげですっかりご機嫌の息子は、優しく、リモコンの故障のクレームを出しておいた方がいいんじゃないかな、僕は時間がないんだけど。。。。。。暗に、おかんやっといて、と言いました。

あ~、なるほど、クレームね、と思いもしなかったアイディアにその場で電話をしました。

家はフリーというプロバイダーと契約しているのですが、前もここの電話対応のフランスらしからぬ素晴らしさを書いたと思うのですが、今回も素晴らしかった!

名前を言うと、”あら日本人?” ”はい” ”オハヨウゴザイマス、アー イマワ コンニチワ デスネ”

”日本語勉強しているの?” ”スコシ” 漫画ではなく日本のドラマが好き、とマニアな女の子。日本語は発音はとても易しいけど、読み書きは地獄のよう、韓国語は読み書きは簡単ね。などと話しは切りが無いほど続きそう。それでね、私が電話したのはね、とやっと用件を伝えると、ろくに調べもせず”今直ぐ新しいリモコン送ってあげます”といとも簡単に解決。テクニシャンとの会話の後に、アンケートがあるのですが、当然全て大満足。

アッと言うまに届いたリモコンに気が付かづ、相変わらずスマートフォンでテレヴィを操作している息子。

しばらく放っておこう。

 

 

 

 

パリが好きな訳

”パリのどこが好きなんですか~ぁ?”とよく聞かれます。”便利さと美しさという相反する2つの事の、美しさを選んでいるところが好きなんです”なんてアホみたいに、気取り風吹かしてお答えすることもあるのですが。。。

先日まで手首を痛める程ぶ厚いマン レイの伝記を読んでいました。マン レイと言えば、パリを愛したアメリカ人の”写真家”、という認識だったのですが、本人は写真家であることに大層嫌悪し、あくまでも油絵の”絵描き”でありたいと切望していたなんて知りませんでした。マルセル デュシャンとそんなに親しかったというのも知らなかった。等々伝記を読むのは楽しい発見があります。第一次世界大戦と第二次世界大という2つの大戦の間の平和な時期。世界中のアーティストがパリのモンパルナスに集まっていたベル エポックにマン レイもパリにいました。住んでいた所も遊んでいた所もモンパルナスの周り。本を読んでいても、あ~、あそこね、と直ぐ頭に浮かびます。

マン レイのアトリエ兼住居

 

 

 

 

 

 

晩年のアトリエ

 

 

 

 

 

 

いつもお昼を食べに行っていたレストラン

 

 

 

 

 

 

モンパルナス墓地のマン レイ と妻ジュリエットのお墓

 

 

 

 

 

 

映画 ミッド ナイト イン パリでも出てきた、パリに集まった世界中のアーティスト達の溜まり場、ガートルード スタインのアパート。

 

 

 

 

 

散歩がてらこんな風に、過去の事が確認できるパリが好きなんです。