思いの違い、フランス対ニッポン

最近へぇーと思ったことです。
日本人の常識的行動として、親御さんの体調が悪くなったり、入院されたりした場合旅行は先ず取り止めますよね。お客様や友達でも、父親が入院して、となれば旅行をキャンセルされます。当然です。
私の旅好きな友達は、お父様が日に日に死に近づいているというのに、平気で2,3週間遠くの国へ旅行に出かけます。
尊敬する父親に毎日電話をするような孝行息子がです。お父様は一人住まい、看護婦さんが4人交代で24時間付いています。もう電話で話すこともできない状態になっても、アフリカに遊びに行きました。”あんね、こんな時日本人はね。。。。。”と我ら日本人の心情を伝えると、”パパが死ぬのをただじっと待っていたってしょうがないでしょ。その為に僕の生活が滞るのは意味がない”だって。
あとへぇーと思う点は、彼等夫婦は遠くに住んでいる父親の元に住むことも物理的にはできる環境だし、ましてや父親がパリの自分のアパートに戻ってくれば、息子、娘の近くに居られるのに、何故そうしない?
父親、息子その嫁、娘その旦那の5人は仲良しです。これがフランス式個人主義ってもんでしょうか。
病院に入院すればもっといろいろな点で簡単なのではと思うのです。昔何かの本で読んだのを思い出しました。病院とは元々貴族や裕福な人の慈善事業として貧乏人救済で建てたものです。よってヨーロッパ人にとって貧乏人が行くところであって、入院したら最後、元気に退院することはない不吉な場所。ある程度余裕のある人は家で治療するもの。というイメージを持ち続けている階級の人が居るのでしょう。
未だに、火葬に対する嫌悪感を持っているフランス人がいます。その人たちの頭には、お墓に入って待っていると、天使がラッパを吹いて、”はーい、最後の審判の時間ですよ”と呼ばれて、よろりと起き上がって最後の審判を受けに行く。体が無くなっちゃったらどうやって審判の場所まで行けるんだい?と焼いちゃうなんておっとろし。とぶるりとするんでしょうね。
日本人からしたら、遺体が生で埋まっているこちらのお墓は不気味なだけでしょう。
こういった人生観の違いが国際結婚のひびの元になるんでしょうね。