第二次世界大戦の残した物   ショア

-SHOAH-

フランスの祝日はキリストさん関係が主です。
戦争に負けそうになるとフランスは直ちにに辞ーめた!となるので休戦記念日って変な日もありますが、5月8日は堂々と第二次世界大戦戦勝記念日です。まぁアメリカとエゲレスに大いに助けてもらったお蔭ですがね。敵の敵は味方という寸法でとんでもないヘマをした国もありましたね。
パリに来たら、イヤでも一度は目にする凱旋門の真下はフランスの為に戦った無名戦士の墓として常に炎が焚かれています。
戦争関係の記念日はここに大統領がお花を献上するのが慣わしです。そんな日は、凱旋門の周りは暫く通行止め、凱旋門に登る事もできません。5月8日の朝もそうでした。
第二次世界大戦と言えば、ヨーロッパ人にとっては、先ずはヒットラー、ユダヤ人、強制収容所、と連想が始まります。
今も生生しい生き証人がいるし、ひ孫の代どころか人類が滅没するまでユダヤ人達の怨念はジリジリ熱く引き継がれています。
知り合いのお医者さんも子供の時収容所体験があり、本を書いたり、近所の学校にその時の体験談を話しに行ったりしています。
フランスでは60%のユダヤ人が収容所行きを免れたそうです。これはフランス人の検挙能力が芳しくないということもあるかもしれませんが、大勢の一般のフランス人がユダヤ人達を匿ってあげたことが一番の結果だと思います。
現在はイスラエルに住んでいる、フランス人に助けられて収容所行きを免れたユダヤ人本人又はその家族達は、そんなフランス人に対してメダルを贈って感謝の印を表しています。
映画も365日毎日流しても余るほどあります。月に一度はそんな映画をテレヴィでやります。まるで一時たりとも世間が忘れないように。
私が一番好きなのは、『ライフ イズ ビューティフル』 イタリアのロベルト べニー二という隣にいたら1分が我慢の限界な、騒々しい監督兼俳優の映画。
この映画みたいな、新聞が本当にあったそうですね。ドイツの子供新聞で、現実の惨たらしい出来事、いやな事は一切無視して希望だけをユダヤ人の子供に与えた新聞。
パリのマレ地区のユダヤ人街にはもちろん立派な記念館があります。
『SHOAH』というヘブライ語で『大惨事』と言う意味の記念館。
ユダヤ関係の建物って独特の警備の仕方で面白いです。
 
そんなことに面白がって関心しているのもつかの間、見学し始めるともう眉間の皺がぐっと深く入り3本は通常より多く刻まれます。
悲しみより、怒りの方が爆発します。
中々日本では接する機会がない事なので、大変興味深い記念館です。
 
社会的地位や経済力に物を言わせて、このようにユダヤ人の立場は大きな声なので聞こえますが、同時期ジプシーだって同じ目に会っているんです。身体障害者、ホモも収容所へ送られました。
フランスではテレヴィでも定期的に執念深くそれ関係の番組を流しますが、いったいドイツではどーなんでしょうか?
ドイツ人にしたって、もう勘弁して下さいといたたまれない事だと思います。
ヒットラーだって、当時ドイツが第一次世界大戦ですっかり貧乏になって、にっちもさっちもいかない状況だったから誕生した怪物です。
今の世界不況の中、極右翼、ネオナチなどが活発になってきている状況を見ると人間の傾向とは変わらないものなのかとおっとろしい気持ちになります。
SHOAH
17 RUE GEOFFROY L’ASNIE 75004