フランスのなるほど~ぉ

11月1日は諸聖人の日である万聖節で祝日です。11月2日は死者の日、なので祝日である1日にフランスでは日本のお盆のようにお墓参りをします。普段はひっそりといい感じの墓地もこの日ばかりは、菊の花を抱えた人や有名人のお墓見学の人で大賑わいです。
浮かれポンチキをするハロウィーンは万聖節の前日10月31日。これは全く宗教と関係がないので、しっかりカトリックの国、特にラテン系のフランスやイタリヤやスペイン又はそれらの国に植民地化されたラテンアメリカなどの国ではハロウィーンはけしからん乱痴気騒ぎです。アメリカが街を挙げて大パレードをするのとはポジションが違います。
 

今の季節日本からいらしたお客様は、菊満載の花やの店先を見て???、お墓に供えるとご説明すると、”あら、日本と同じなのね”
これはですね、第一次世界大戦後から始まった習慣なんです。フランスでは11月11日は第一次世界大戦休戦記念日でこれまた祝日です。大戦時の英雄政治家、虎のクレモンソーことジョルジュ クレモンソーが、休戦一周年に世界大戦で亡くなった兵士の墓に花を供えるようフランス国民に呼びかけました。菊というのはこの季節に唯一花が咲き、厳しい冬も元気に越せるという事で、皆菊を兵士の墓に持って行きました。その11日がだんだんとご先祖様や亡くなった家族のお墓詣りに移行して行って1日に菊を持ってお墓詣りをするようになったという事です。この1日に墓参りをするというのはポーランド、ポルトガル、フランスだけなようです。
 

第一次世界大戦の無名戦士の記念碑は凱旋門の下にあります。身元不明の1人の戦死した兵士の遺体が代表で埋葬されていて、毎日、毎日ですよ18h30にフランスの為に戦った無名戦士達を忍んで立派なセレモニーが行われているのは感動的です。これなら愛国心だって大いに湧きます。
そして、この虎のクレモンソーはぐんぐん突進するのみの野蛮な政治家ではありませんでした。クロード モネの親友で、モネの睡蓮を見る為に行列を作るオランジュリー美術館はクレモンソーの肝煎りで完成し、それだけではなく、白内障で色別ができなくなって、すっかりこの世の終わりになったモネに白内障の手術を受けさせ、元気づけ睡蓮の大連作を完成させたのもクレモンソーです。メルシ― クレモンソー!

 

パリ市内には主な墓地がモンパルナス、モンマルトル、ペール ラシェーズと3つあり、アーティスト、俳優、作家など超有名人がごっそり眠っています。是非お散歩してみてください。ここは、サルトルとボーボワールのお墓です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パリでの信号の渡り方

歩行者にとって信号は無視する物と言うのがパリの習わしなので、信号がきっちり青になったら右見て、左見て、もう一度右を見て道を渡る習慣が身に染み込んでいる日本のお客様は大層困惑なさいます。信号無視が体に染み込んでいる私が車が来ないのを確認して赤信号をつい渡ってしまうと、「三井さん、三井さん、信号赤ですよ!!!」と注意してくださいます。

登校時、下校時には学校の近くの横断歩道に気まぐれに旗おばさんや旗おじさんがいることがありますが、彼らも全くもって信号は無視して、渡らせたり、渡らせなかったりします。車がいなければ赤信号でもポリスも ”ちゃっちゃと渡って。”と腕を振り回します。

歩行者がこんな態度ですので、車の運転手はそりゃひやひやです。4人に3人の運転手はいつ歩行者が飛び出してくるか常に警戒しているそうです。半分近い運転手が信号が青から赤に変わる時にアクセル踏むかブレーキ踏むか迷うそうです。同数の歩行者が青から赤に変わる時に渡るか、留まるか迷うそうです。

インドやアイスランドでおもろい横断歩道があります。横断歩道の縞々模様が3Dになっていて、まるでブロックがでんど置いてあるように見えるので、運転手は慌ててブレーキ―を踏む、又は減速するので事故が大幅に減ったそうです。

問題はいつも通っている運転手には効き目が無くなるという事です。

楽しいアイディアです。

 

 

 

 

 

 

パリで道を渡る時、最も気をつけなければならないのは、いつもと反対から車が来る事。そして歩道と車道の間に細く自転車レーンがある所が増えてきました。そこにぼんやり立っていると勢いよくすーと走ってくる自転車と衝突します。くれぐれも周りを良く見て、ご自分の身をお守りください。

 

 

 

 

 

パリの公園で夜を過ごす

ここの数年猛暑に襲われているパリは、オーブンの中に居るような部屋に住んでいる、又は人が多すぎて息が出来ないようなアパートに住んでいるパリジャンの為に公園を一晩中解放するという対策にでました。7月1日から9月3日までパリ市内16か所の公園が24時間開放されています。もちろんその間も昼間同様警備員がいるので
パリ市としては結構な出費かと思います。
公園でやって良い事、いけない事項目が笑かしてくれます。

バーベキュー
家族や友達との楽しいピクニックは良いが、火を使ってはならん。罰金90€

アペリティフ
公共の場でのアルコールは禁止。もちろんキャフェやバーやレストランを除く。しかしながら、暑い日の冷えたロゼワインやビールぐらいは大目に見ましょう。
酔っ払いは直ちに追い出します。

水着
水着というのは海やプールなど公共の場で着用する物なので問題はないが、きちんと上下を付けること。

音楽
仲間内で場を盛り上る程度の音楽は良いが、夜中の1時にスピーカーでガンガンロックや夜中の3時にどかどか太鼓を叩く事はご法度。

セックス
絶対、絶対、絶対ダメ!罰金15,000€、又は禁固刑1年。

この6月、7月も37度なんて日が何回もあったのですが、長続きしないので楽です。今日は日中で22度位。快適快適。

私の家は暑さに負けないアパートなのですが、一度公園に泊まりに行ってみたいものです。

 

 

 

 

6月のパリ

あ~もう夏ね。と長い長いコートとブーツの生活からワンピースにサンダルのウキウキする季節になりました。6月は街中の雰囲気も独特です。まず目に付くのが学生の団体。フランス人だけでなく、ヨーロッパ諸外国からの子供達が目立ちます。学年末の修学旅行です。それと来週からバカロレアが始まるのでその準備で先生達は忙しいので、邪魔な他の学年の子供達は遠足に追い出されます。地下鉄やバスで移動している彼らを見ていて、日本のそれと随分違うなと感じ入ります。
20人位の学生を引き連れて歩いているは、たった一人の先生だったりします。その先生も至ってリラックスして楽しそうにしています。大きな声を出して「次降りるよー」なんて注意していないし。学生達もばらけて座ったり、立ったりしているのに、きちんと降りる所で降りて行きます。私だったら心配で心配で。「次の次で降ります」とか「バッグ気を付けてくださいね」など、まるで日本の電車のホームのアナウンスの様にやかましくしてしまいます。

中学校、高校はバカロレアの試験会場になったりするので、その間学校はお休みになります。年々回して使う教科書も早々回収されるので、事実上授業は殆どなく6月は既にヴァカンス気分です。公園にはそんな浮かれ学生が溜まっています。
今家族中でキリキリしているのは、15日から始まるバカロレア受験生です。今年は700,000人が受けるそうです。受験生も含め、試験作成者、印刷する人、管理する人、添削する人など膨大な人数の人が関わるバカロレアが毎年無事行われるというのは何とも奇跡的な現象だと、フランス人自身言っています。
バカロレアの試験問題を作成するのは、新学期が始まる9月からもう始めるそうです。

私も、大禿になる勢いで息子の時は心配しました。彼は今年は、卒業試験と次のもっと専門的な方向へ行く学校に入る為の試験が5月中ずっとあったらしく。後から聞いて、道理で夜家に居た訳だと納得。6月はその結果待ち、まな板の鯉状態の彼は、テニスのフレンチオープンだサッカーだの観戦で、アー忙しいな、と幸せの絶頂です。
「この6月があーたの人生で最良の時という事を肝に銘じて過ごしなさい」と,折角の気持ちにどば~と水をさす母。7月の結果を全く心配していないあの子が私は心配です。全部ペケだったらどうするの?
超ご機嫌の彼の話を引き出せば、筆記試験があって、数日後、口頭試験はフランス語、英語、スペイン語などであったそうです。数人の試験官の前で20分位ぺらぺらするそうです。英語の口頭試験とスペイン語の口頭試験の間が5時間もあってうんざりだったよ。聞いただけで食欲が失せました。
私のできることはおっ月様に”どうかどうかどっかの学校に入れてください”とお願いするだけです。

全体的に弛緩した感じの6月、ヴァカンスの事で頭が一杯で、上の空だけど機嫌が良いパリジャン。今年はお天気も良く素敵な6月のパリです。

 

 

 

 

あなたの幸せ、私の幸せ。

世界に名だたる高級ブティック街のアヴェニュー モンテーニュ。一昔前の高級ブティック街のサント ノレは、今では何でもあり、道も狭くてごちゃごちゃしていてサンダルつっかけて歩いていても気まずい思いはしません。しかし、ここアヴェニュー モンテーニュはブティックが、どこも玄関があるように道から引っ込んでいて、岩のようなガードマンが立ちはだかっています。そして来るお客を、”OK”、”まあまあ”、”ぎりぎり”、”ケッ”、とカテゴリー別に見分けているのがありありです。ケッのカテゴリーの私は、なので縁のない通りです。
なのに、歩行者も疎らなその高貴なアヴェニューを先日歩いていました。と、ボンジュールと聞こえたので、誰かしらと振り返れば、今通り過ぎた知らんインド人。”あなたはラッキーレディー!”と私のおでこを指さしながら言います。”6月にとっても良いことが起こりますよ。あなたはとってもラッキーレディー” 頭のおかしな人風でもなく、服装もきちんと常識的、お顔も崩れていません。彼と私の間は5歩位離れていて、”あらまぁ、それは嬉しや、ありがとう!”と言いながら私は少しずつ後退しました。インド人はしゃべり続けていますが、英語だし遠くなっていくので聞き取れません ”。。。。。。。私からのアドヴァイスです”という言葉だけ私の耳に残してインド人は去って行きました。
あっや~、私はラッキーレディーなの!!!!!
心当たりは全くないものの、視界はがらりとバラ色になりました。
6月???それは私の誕生日月。楽しくも嬉しくもなんともない誕生日の事じゃあるまいな、いや、息子の試験の結果が出るのが6月じゃなかったかしら?など私の心は散り散りです。
くそ、何でインド人の忠告をちゃんと聞かんかったんか!と後悔で眠れぬ夜を過ごしました。

数日後、バスに乗っていました。毎度の渋滞でぼんやり外を眺めていたら、お店から出てきたフランス人の男性が誰かに呼び止められて、眉間にしわを寄せて話を聞いています。その内殴りかかるのかと見守っていたら、握手をして別れました。????と思って話しかけた人をバスの前進と共に見たら、あのインド人です。
場所はギャラリーラファイエットの横の道です。
狐に鼻を抓まれたまま頭の中を整理してみました。あのインド人は”引き寄せの法則”を使っているのではないか?
彼の”You are lucky lady”の一言で私は幸せさんになったんです。彼が人に与えたその幸せが彼に戻るというからくり。”情けは人の為にならず”っていう事です。
人の為でなく、自分の為。正しく、ボランティア活動をしている人達の心底と同じです。

人間って面白いですね、誰かの一言で心の持ちようが良くも悪くもガラリと変わるんですから。
あのインド人という風貌がまた一役買っています。

ナマステ~ェ。

 

 

 

 

マレ地区、ギャラリー巡り

”マレ地区”って聞こえは良いですよね。17世紀にアンリ4世が美しきヴォ―ジュ広場を造ってマレ地区=沼地が大きく変貌し、息子のルイ13世の時代になると貴族達の流行の地区となり次々に今でも残る貴族の館が建てられました。
その内,移り気な貴族達はマレ地区はもう古いと、新しく流行りだしたサン ジェルマン デ プレの方に引っ越して行き、あれよあれよとマレ地区は陰となりました。
18世紀のフランス革命で、その貴族の館は没収され、職人達の工房や商店となり、すっかり様変わりをしたマレ地区。
19世紀では、パリ一番不衛生で貧しい地区とどん底になりました。そのどん底マレに住んでいたのは、東ヨーロッパから流れて来たユダヤ人達です。彼らは毛皮屋や古着屋を生業としていました。
20世紀に入ると、どこにでも出没する中国人が大挙して住みはじめ、今でも小さなチャイナコミュニティーがあります。1960年、時の文化大臣のアンドレ マルローが今の様にマレをオサレな地区に蘇らせた訳です。

21世紀の今、マレと言えば、ユダヤ人、ゲイ、現代芸術のギャラリーと直ぐに連想します。あらブティックだったのに無くなって工事していると思ったら、その後は殆どが貸しギャラリーになります。っという事は儲かる商売なんですね、きっと。私もやりたい貸しギャラリー。

歩けばギャラリーにあたるマレ地区の散歩は気軽にアートに触れられ、すっごく得した気分になること間違いなしです。
一見ちと入りにくいのですが、受付の人はドアを開けて入った時に、してんだかしてないんだかの挨拶をする位で、後は知らん顔、ほっといてくれます。
人も少ないし、無料だし、訳の分からん”芸術作品”であってもそれはそれで楽しめます。なんだこりゃ?と傾げる作品が今をときめくアーティストの作品だったりして、もう一度驚いたりするサプライズでもあれば、あ~今日は実に実りのある一日だった!となるでしょう。

是非、マレ地区ギャラリー巡りを体験してみてください。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミッション インポッシブル 6 イン パリ

FBにもアップしましたが、今、ミッション インポッシブルの撮影がパリの街中あちらこちらで行われています。写りの良い、絵になるパリはいつもどこかしらで何らかしらの撮影をしています。
なんでも、平均1日10本の撮影、映画だけでも年900本撮影、5000か所ものお勧め撮影場所があるそうです。

 

 

 

撮影にあたり、警察とパリ市に撮影許可を申請します。これは私も慣れています。キフキフパリは、毎年6月21日の音楽の日ことフェット ドゥ ラ ミュージックをオーガナイズしていますので、その手続きで警察、パリ市、フェット ドゥ ラ ミュージックのオーガナイザーに申請します。

びっくりしたのは、室内や公園などは有料ですが、道を塞いで、混乱極めるパリ市内の道での撮影は無料だそうです。太っ腹なパリ市だなと思ったのですが、海外や地方からの撮影の場合、4分の3のスタッフ、俳優、技術者、エキストラなどはパリ現地調達になり、彼らの仕事が出来るので、パリ市としてはウエルカムだそうです。

こんな訳で、何かの撮影をしていても、人はちょっと足を止めても見学などしないので、何事?という様子にはなりません。しかし、さすがハリウッド映画、先ずはトラックの数が違います。道2本分位ずらずら大型のトラックが連なって止まっています。結構撮影現場から離れている所でも、コーヒー豆を挽いてから煎れる本格的なスタンドを構えたコーヒーボーイがスタンバイしています。私はてっきりコーヒーのプロモーションで試飲させてくれるのかと手を伸ばしたほどです。

トム クルーズの名前なのか、ミッション インポッシブルという映画の名前なのか分かりませんが、パリでは珍しく撮影現場は人だかりがしています。
後で考えて笑ったのですが、野次馬に混ざって見ていた時、「あれ、トム クルーズ?」「そうよ」「本物かしら?」「ねえねえ、あれ本物のトム クルーズ?」「そうですよ、写真やヴィデオを撮らないでください!」隣に居た人と私とスタッフの3人の会話。3人ともなぜが英語で話しているんす。私以外2人共フランス人です。いくらトム クルーズを見ながらと言っても英語で話すこともなかろうに、全く自然に英語会話でした。

遠くからでもトム クルーズのアメリカンなピカピカさが見て取れました。ヘルメットを取った時の頭の振り加減で前髪がふわりする具合など、シャンプーのコマーシャルです。

フランス人俳優の撮影の場合、どれが俳優でどれがスタッフか分からないぐらいです。道やレストランなどで見かける彼らは一般人の中に溶け込み過ぎて気が付きません。先日キャフェで隣に、嫌だ浮浪者かしらと思った男性が座ったのですが、ギャルソンとの会話と独特の声でかの有名な俳優だと分かり、よく見ればなるほど彼です。
へそ曲がりフランス人特有の美意識である、綿密な計算の上での無頓着なお洒落です。上から下までぴっちり決めるのは野暮の骨頂、センスという物が欠如している人間のやること、と決めています。浮浪者と見がまった彼もふんわり良い香りがしていました。
この野放図さ加減、頓着しない加減が室内装飾でもお洒落でもほとほと上手なフランス人の真似は、生真面目な我々日本人には中々できるのもではありません。

ここの所パリは寒くて、未だコートとブーツ姿で、雨の毎日。気の毒なトム,今週もパリジャンの心のような不安定なお天気が続きそうですがしっかりお気張り下さい。

 

 

 

 

春、夏に向けてお勧めパリの名所

パリは毎年来てますの、の方でも中々経験しないパリの名所、それはサン マルタン運河のクルージングです。これからの季節是非お勧めします。という事で、パリ19区のヴィレット流域にある水門にお勉強しに行ってきました。
事の始まりは16世紀まで遡ります。パリに農産物や薪、建築資材を運ぶ為に運河が建設されました。今の様になったのは19世紀にナポレオン1世がパリに飲料水を運ぶ為、セーヌ河とウルク河を結ぶ水路として開発しました。パリ郊外まで全長130kmにも及びます。しかし土地は平たんではなく高低差があります。水を堰き止めて、水を貯めたり、流したりして進行先の水面の高さに合わせるというステップ バイ ステップで船はのんびり進んで行くとうからくりです。上流に向かう船、下流に向かう船が交互に行きかえば合理的に行くのですが、同じ方向に行く船が続くと、せっかく貯めた水を流して、又やり直しというなんとも頭が悪いのかと疑うような仕組みです。
もちろん、こんな手間暇と大量の水を使用するので通行料もかかります。1トンに付き0,047セント。だたし、荷を積んでいる時だけで空の状態だと無料だそうです。

運河運行には免許がいらないので、誰でも船をレンタルして船長さんになれるそうです。時々上手く水門から入れなくてガタンガタンぶつける人もいるようですが、大した事故は起こらないそうです。道に迷うこともないし。

コントロール室、皆のんびり仲良しな職場の雰囲気。アホな質問にも優しく答えてくれます。

有効深、扉室、閘室、階壁、などなど日本語でも聞いたことがないような言葉の嵐を楽しみました。

 

 

 

 

 

パリにはサン ドゥ二運河、ルルク運河、サン マルタン運河の3つの運河が関わっています。クルージングをするのはパリ4区、バスチーユ広場近くのアルセナルポートと19区のヴィレット公園の間のサン マルタン運河4,5kmを2時間30分かけてパリの下町をゆったりゆったりクルージングしていきます。
この間4つの水門、地下、船を通過させる為ぐるりと動く道などを楽しめます。

 

 

とてもフォトジェニックなので、よく映画の撮影にも使われます。古い映画では”北ホテル”、最近では”アメリ”、”パリ、恋人たちの2日間”など、次回のミッション インポッシブルでもトム クルーズはこのサン マルタン運河で活躍する予定だそうです。日本のアンリ カルチエ ブレッソンと言われた木村伊兵衛もサン マルタン運河で素敵な写真を撮りました。

 

益々パリが好きになるのは請け合いです。問題は1日3便しかないんだな。それからイラチな方には向かないかもしれません。時速6kmが制限速度ですから。