何度かブログにも書いた何とも個性豊かな友人ロシア人の元チェリスト。年をとるにつれて益々酷さが増長しています。何が腰を抜かさせられるかと言いますとアパートの中です。
数年前に100歳を幾つも過ぎたお父さんが亡くなってから、彼女1人住まいのアパートは今やゴミ屋敷です。本人曰く”ゴミ”ではなく整理している最中の大切な物という事ですが。玄関のドアもズイズイ物の山を押しながらでなければ開きません。体が通る位開いたドアから体の側面から回り込んで入り、跨いで、跨いで、迂回してやっと居間に辿り着きます。居間の真ん中には書類が積み上がり、私が入れるぐらいの大きなスーツケースが斜めに傾いて投げ出され、お父さんの形見の車いす、くるくる上手に丸めてあるマットレス。棒状になった絨毯も3,4枚転がっています。ミュージシャンだったお父さんの楽譜の大山、彼女自身の楽譜の大山、未使用の化粧品だバケツだ工具だ電気湯沸かし器だ。。。。
テレヴィでアメリカ人のそんな家を見た時、こんなのはあり得ない、やらせだ、と思っていたその光景が目の前にあるんです。もうショックを通り越して恐怖です。

頭をかしげるのは、行く度に、テーブルやソファーの位置を変えて模様替えをしているんです、そしてゴミの様子も違うんです。どちらにしてもゴミ屋敷なのですが。

片づけられない症候群になる要素の中で彼女に当てはまる項目は、
1 会話の途中で話がポンポン飛ぶ
彼女との会話には相当の集中力を必要とします。気を抜くと何の話しをしているのかさっぱり分からなくなります。
2 今、何をしていたのか、やろうとしていたのかが分からなくなる。
先日アイスクリームを持って行ったのですが、ドロドロに溶けてしまいました。
3 片づけの最中、写真や手紙を見つけたら見入ってしまう。
50年前に亡くなったお兄さんの詩集が見つかった時は数日見入っていました。

象のように物凄い記憶力だった彼女も”あれ何だったけ?” ”あー思い出せない” など頻繁に言うようになったし、無意識に会話の中にひょいとロシア語が混ざったり、チェリストだけあってピンとまっすぐ張っていた背中も柔らかい感じになっちゃって、そんな彼女をゴミ屋敷の中で見ていると切なくなります。

重い気持ちを抱えての帰りのバスの中、こりゃ明日は我が身だわ。孤独な老後が待ち構えている私も他人ごとではありません。
家の中は住人の頭の中を反映しているそうです。気力も失せ、頭の中はとっ散らかったならば、家の中もゴミ屋敷まっしぐら。
あ~くわばらくわばら。