パリが4年間もドイツだったなんて今の若者には『ウッソー!』とのことでしょう。
道路の標識はドイツ語だったし、パリの高級ホテルや邸宅はことごとくドイツ軍の偉い人に占領されていました。
上から押さえられたり、強制されることに耐えられないフランス人気質は、レジスタンスという形で団結していきました。
ドッキン!としたのは、当時のレジスタンスの中心的人物の身分証明書の住所が、私が以前住んでいたアパートの住所と同じなんです。ドッキ~ン!

当時の写真やルポルタージュを見てみると、レジスタンス活動をしていない一般パリ市民も、じっとしちゃいられないと、石畳を剥がして、ドイツ軍が占領している建物の前に積み上げ、ドイツ人を中に封じ込めたり、街路樹を切り倒して通せんぼしたりと微力ながら参加しています。
そんな状況の中でも、女の人は口紅塗って、ひらりとしたワンピースにハイヒール、男の人もスーツに帽子という格好を見て、ホエーと感心したのですが、よく考えてみると当時はパジャマかそのような服しか持っていなかったんだと思います。今でもそんなフランス人は結構います。家にいる時の『ラフな格好』って物がないんです。

心底魂消げるのは、敵国に首都が占領されているという非常~にまずい時下なのに、高級レストランも、劇場もいつもどおり営業しているし、展覧会なんかも平和時と同じに開催されているんです。公園に行けば子供はきちんとした格好をして遊び回っているし、おしゃれしてシャンゼリゼ通りを闊歩しているマドモワゼルはいるし、日本の戦時中の風景とは大違いです。現存の当時の思い出話をした元ドイツ軍人は、『いや~フランスのおなごはいかった~』といまだにニヤニヤして話していました。

数年前、そんな呑気なパリ市民の様子の写真展をして、当時は食べる物もなくてそりゃ大変だったんだ、実態を伝えていない!とスキャンダルになりました。戦時中食べる物もなくて不自由な生活は当たり前で、それなのにこんな面もあったというこれらの写真は貴重だと思うのですがね。

連合軍に大いに助けられ、レジスタンスも大奮起してパリは開放されました。それが丁度70年前の8月25日です。レーバンのサングラスをかけてチューインガムをくちゃくちゃ噛みながらやって来たアメリカ兵はパリジェンヌ達のキスの嵐に迎えられました。今にも服を脱ぎだしそうな熱烈なパリジェンヌも1人や2人ではありません。

映画では、ヒットラーはパリを失うぐらいなら崩壊してしまえ、と好きが高じて女を殺してしまう狂人男のようになって、『パリは燃えているか?』と電話で確認しますが、実際、ヒットラーは最も愛するパリを壊す気は毛頭なかったようです。
ハレルーヤー。