パリのロダン美術館は高級住宅地7区にある、18世紀に建てられた豪勢な個人邸宅です。ロダンは1908年からその家を借りて住んでいました。
お天気のいい週末、散歩がてらロダン美術館へ行ってしゅてきなお庭でボーとしたりするとオサレな気持ちになります。

もうとっくに大彫刻家であったロダンがいつまでも借家住まいの訳もなく、パリ郊外のムードンにネオルイ13世様式の家を買いました。
そこも現在は美術館となっていて、これまた天気のいい週末に足を延ばすと楽しいです。
それも4月から9月の金、土、日しか開けないという特別ぶりです。

 

1900年当時はここで50人からの助手がロダンの為に働いていたそうです。
そこで思い出したのが、映画 『カミーユ  クローデル』。
19歳の彫刻家の彼女は、弟子入りした42歳のロダンと恋に落ち、終いには気が狂ってしまったほどののめり込みようでした。熱い人です。
もちろん彼女もこのムードンのアトリエでロダンの為に働きました。
『地獄門』の天辺についている3人の人の真ん中の人の手の角度などは彼女が通りかかった時にした仕草でした。
『カレーの市民』はカミーユが考え出したアイディアです。、それでモデルは近所の浮浪者や農民やらをぞろぞろ連れて来て作成したんです。
カミーユはロダンの代表作にかなり関わっているのですが、一切彼女の名前は公表されませんでした。
叶わぬ恋と被害妄想で頭がぐちゃぐちゃになったカミーユ クローデル。最後は精神病院行きです。そんな映画で見た映像を実際のここムードンの ロダンの自宅、アトリエを見学していて思い出しました。


自宅の方の小さなアトリエ。

 

 

 

 

 

大勢の人が働いた大きなアトリエ。
これらの石膏の習作を元に、ブロンズや大理石で作品を作った。

 

 

 

お庭にある『考える人』の下がロダンのお墓。

 

 

 

 

翌日、ポール ロワイヤル通りを歩いていて、ふと見上げると建物の壁に、『ここにカミーユ クローデル、ポール クローデル兄弟住む』と看板に書いてありました。
ポール クローデルはカミーユの仲良しの弟です。日本にも滞在した事がある外交官であり作家です。
これまた、映画でカミーユとポールが大通りに面したアパートのバルコニーで話している場面を思い出し、おー!ここやここやと合点しました。

そしてまたもや 赤い糸! とひつこく感激したものです。